新しいMacbookを買ったので、スリーブケースを探している。

sasajun2008-03-29

 ブティックやスポーツギアの店で、たまにかわいいのを見かけてはいたけれど、いざ買おうとなると見つからない。
 自分のマックに入って一緒にお出かけしてもらうのだから、それなりに好みのものがほしい。
 オンラインで探してみたら、いろんなのが出てきた。
 
 このページ(Smashing Magazine)、面白かった。ラップトップやマックブックのスキンやステッカー、えらい派手なのがいろいろ出てる。硫黄島アートはいかがなものか。
 
 最近は女性向けのスリーブが増えてうれしー。デザインのバリエーションでいったら、クラフトアーティストが作るファブリックものが一番。テキスタイルを選んで作ってもらえる。
 「JanieKingDesign」
  
 アジアっぽい。香港在住のスウェーデン人兄弟の会社らしい。タイシルクのもある。
 「包 包」
 
 ここのは素朴な風合い。麻とかベルクロなどの素材を使って、ざっくり縫いましたっていう感じが悪くない。
 「AppleSac」
 
 いっそフェルトを買ってきて手作りするか。簡単そう。
 「design spongeによるLaptop Cozy」
 
 あー、目移りするなぁ。

 Creative Commonsのレッシグ教授が、Change Congress(議会を変えよう運動)を発足させた。

 
 ワシントンDCの献金の悪影響にまみれた状況を変えるため、政府の機能を根本的に改革するための運動とのこと。レッシグ教授と並ぶ発起人のジョー・トリッピ氏は、「大統領選において初めて、オンライン技術を使った大規模な草の根運動を組織した」人物。
 
 スタンフォードでフリーカルチャーのレクチャーをしたときに、学生に「Why don't you do something about it?」と言われたのをきっかけに、自らカリフォルニアの議員に立候補することを考えたそうだ。「Draft Lessig for Congress」というグループもできて、facebookの同グループには4千人が入ったそうだ。が、立候補はやめたとのこと。
 
 2月4日、オバマ支持の理由も、ビデオで述べている(トランスクリプト)。
 
 詳しくは、友人のsaoriさんのブログ、『100 VOICES YouTubeから聞こえるアメリカの声』を。
 アメリカのさまざまな社会問題を提起するビデオをYouTubeで見つけて、日本語訳や解説をつけている。大手メディアでは報道されないアメリカの声が聞こえてくる、貴重なサイトだ。

 

 ミクシィ利用規約の第18、19条がユーザの反発を呼んでいる。

 このことをアメリカのブロガーに話したら、B-net(C-netのいとこサイトらしい)に載った。
  Mixi IP Fight: Who Owns Social Media Content?
  (MixiのIP論争:ソーシャルメディアのコンテントは誰のもの?)
  
 アメリカでもJポップが好きだったりして、ミクシィに入りたがってる子はけっこういるようだ。「誰かお願いだからインバイトして〜」という書き込みなどをたまに見る。
 英語版ウィキペディアのミクシィのエントリーでも、「Mixi利用規約」のことが最後の方にちょこっと載っている。
 使いやすくて、いいサービスなのになぁ。賢明な意思決定をしてほしいなぁ。
 
 最近はSNSを使って連絡をとる人が増え、またgmailなどウェブメールの方が便利になってきて、プロバイダのメールアドレスを使う人が減ってきているようだ。
 件のミクシィの規約は読みこんでいないけれど、アップロードした情報全部が該当するんだろうか。(メッセージも???)ユーザの中には「自分の日記を書籍のネタに使ってくれてもいいよー」という人もいるけれど、私のマイミクさんの中にも「これまでの日記をぜんぶ削除する」とか「日記は外部のブログサービスにうつしてリンクさせる」といっている人がいる。
 今後、もっといろいろなSNS(というかSNS機能をもったサービス)が出てくるのではないかと想像するけれど、それと同時にユーザの方も賢くなって、さまざまなSNSをうまく使い分けるようになるんだろう。
 
 ところでこの間、ミクシィのコピーサイトらしき中国のサイト中国縁(meet8.com)<友だちはチャイミクと呼んでいる。>を見たら、あまりにそっくりで笑ってしまった。こっちの著作権は、どうなってるわけ〜?(笑)
 

沖縄の中学生を暴行した米兵が釈放された。自分の国(米国)でやったら、間違いなく刑務所行きになることをしたのに、と思うと歯がゆい。
 
 Statutory Rapeという言葉がある。日本では法的強姦、などと訳されているようだ。日本語/英語のWikipediaを参考に簡単にまとめると、「age of consent(AOC=性的同意年齢)に達していない未成年とセックスをする」ことをいい、性犯罪にあたる。age of consentは、「思春期を過ぎて身体が成長し、自分の性行為について判断する能力があると法的に認められた年齢」をいう。思春期前の子どもに対する性的行為はchild molestation(性的虐待)であり、より重い罪となる。
 男女関わらずこの年齢以下の者とセックスをした成人は、Statutory rapeの罪に問われる。たとえ相手が同意の上でのことだったとしても、「相手には正しい判断能力がない」わけだから、それを利用したとして罪になる。相手が十代とは知らなかった場合でも、必ずしも見逃してもらえない。
 このAOCの年齢が何歳かというと、米国の場合は州により異なるが16〜18歳だ。この法律は、性的行為によって起こる影響(心理的ダメージ、妊娠、性病など)をまだ理解していない未成年を、守るためにつくられた。裁判時に暴行があったことを立証するため、若い被害者が大変なストレスにさらされるのを、避ける意味もあるようだ。
 こうした未成年と性的行為をもつのは刑事犯罪であり、Statutory rapeのほか、child sexual abuse、carnal knowledge、corruption of minorなどの法律用語で呼ばれる。
 日本の性的同意年齢は13歳だ。各都道府県が定める淫行条令は、「18歳以下の男女との淫行」を規制するものとのことだ。これを「恋愛規制条例」と呼んで、反対する人も少なくないようだ。
 
 今回の沖縄の事件でも多くの暴行事件同様、「ついていった方も悪い」など、被害者の非をとがめる意見が出たようだ。「男と車に乗って2人きりになったらどうなるか、わかるだろうが」という意見も読んだ。
 そうだろうか。大人の男性にはわかるかもしれないが、14歳の少女の中に、わからない子がいるのは当然ではないか。自分の性欲だってよく意識したことがないかもしれない思春期の子に、男性の性欲がどれほど強くなり得るものか、わかれというのは難しい。一体誰が、そんなことを、ローティーン/ミドルティーンの子どもにわかりやすく教えているというのだ。「知らない人についていってはいけない」ことを漠然とは知っていても、なぜついていったらいけないのかをしっかりと理解していなければ、口八丁手八丁の相手には丸め込まれてしまう。「無知だ」「馬鹿だ」と言われるのももっとも。それが若くて経験不足ということなのだから。
 以前、十代の性について取材した時に、セックスをしたり、援助交際をする中高生の中には、「断りきれなくて、ついしてしまった」「嫌われそう/相手を怒らせそうで、恐くて断れなかった」という子が、少なくないことを知った。
 私自身が、だましたり、嘘をついたり、無理強いしてまで、セックスしたがる男性がいると知ったのは、大人になってしばらくしてからだ。さらに、そうとは知らずにそういう男性と関わったら、どれだけ女性が傷つくかを知ったのは、もっと後のことだ。
 
 米兵が強姦や交通事故を起こして結局は釈放される、ということは、日本のみならず、フィリピンなどでも起きてきたことだ。自分の国でならおそらくしないであろうことを、捕まるリスクの少ない外国にいるからしているのだとしたら、全く卑劣だ。
 昨年だったと思うが、フィリピンで22歳の女性を暴行した米兵に40年の懲役が課せられた。この事件について、女性団体はずいぶん激しく抗議したそうだ。
 またイラクについては、米兵による性的暴行が実際にはどれだけあるのかを懸念する声を聞く。イスラム教の国では、強姦された側がとがめられ、非難され、殺されることすらある。被害者が表沙汰にすることができないから、そこにつけこむ者がいるというのは、残念ながらあるだろう。
 沖縄の事件により、日米関係の政治的問題が議論されるのは当然だし、議論されてしかるべきと思う。私もアメリカの友人たちに、現状について知ってもらうよう話している。それと同時に日本国内のことについても、考えられるべきではと思った。
 

 日本では40代ともなると自分のことを’おじさん’’おばはん’とか呼んで、表向きには「恋愛は卒業しました」という顔をしている人がけっこう多い。
 アメリカでは’おじさん・おばはん’にあたるような言葉はないし、恋愛を卒業する気は全くない人のほうが多い。
 
 先夜、ある人と食事に行った。「ディナーに誘われたら、ロマンティック/セクシュアルな意図があると思え」などと言われてる国ではあるけれど、仕事で知り合った方なので深読みしたくなかった。それに1、2度しか会ったことのない妻帯者が、自分に気があると憶測するのも傲慢な気がしたし、その日アジア出張から戻ったばかりだというので、仕事の話をしたいんだけど夜しか時間がないんだろうと思った。なので服装もカジュアルビジネス風にして出かけた。
 実際に会ってみたら、彼はデートのつもりだったらしい。Zagatで調べたとてもおいしいレストランを予約してくれていて、エスコートも押しつけがましくなく、会話も気遣いもとてもあたたかった。実は奥さんとはずっと別居していて、離婚の手続きがもうじき終わる云々という状況を、会って早めの時間にさりげなく聞かされた。
 
 仕事の上でも社会的にも、その人のことは大変尊敬している。人間的にもおそらく信頼できる人だし、男性としても魅力的だと思う。だけど、どうしていいかわからなかった。私自身が、どういうリレーションシップを望んでいるか、混乱しているからだ。
 心は仕事に奪われていても、とりあえず体は家に帰ってくるワーカホリックならともなく、年中世界をとびまわっていて不在の人と、再び(前の彼がそうだった)関わりたいかどうか・・・自分でも、ずっと疑問に思っている。アメリカの都市にはこういうビジネスマンがけっこういて、30代後半〜40代の中年の危機を迎えた時に、家を守っていた奥さんの我慢に限界がきて、離婚を申し出るパターンが少なくないのだ。何せ子どものサッカーの試合には、お父さんが会社を早退して駆けつける国柄である。「子どものことはお前にまかせた」は通用しない。
 それに離婚を目前にして寂しくとも、感情的に前の関係を乗り越えていない間は他の人と下手につきあわない方がいい、というのが、私の信条だ。詳しい事情はわからないけれど、彼も奥さんとのことを後悔のないよう時間をかけて考えてほしいと思う。
 
 でもそんなことを話すタイミングもつかめないまま、どこかぎこちなく別れてしまった。アメリカでは、初デートの最後はチュッとキスしてさよならが普通だが、そんなことしたらどっと盛り上がってしまいそうで恐かった。
  
 これからアメリカで出会う男性は、結婚歴や子どものある人がほとんどだろうな。べ−シックな相性をクリアしたとしても、コミットした関係をもつのにネックになってくるのは、前のパートナーや子どもとの関係や彼らに対する責任・仕事などの社会的責任・そうした責任にまつわる時間とお金とエネルギーの使い方を、いかにお互いに折り合うかだろう。
 特にシングルペアレントの家庭を見ていると、子育てに対し責任感の強い人とそうでない人、愛情の深い人とそうでない人とでは、子どもの精神的安定度が全く異なってくる。以前、日本の男性と話した時に、「新しい相手のことを思うなら、子どもとも一切縁を切るべきだ」みたいなことを聞かされたが、「そんな無責任な人とは、私はつきあいたくないけどなぁ」と思った。
 これもよしあしだろうけど、アメリカでは「別れても子育ては協同する」カップルが多い。お父さんお母さんにそれぞれ新しい恋人がいるという状況の中で、子どもたちは今週(何曜日)はママの家、来週(何曜日)はパパの家、という風に行き来しながら柔軟かつしたたかに生きていて、その適応ぶりたるやあっぱれだ。それでも子どもと一対一で話してみると「ひょっとしたらまたパパとママが仲直りして、みんな一緒に暮らせるかも」という希望をかすかに抱いていることが多い。キッズ向けTVチャンネルのドラマなど見ていると、親が子どもに「パパとママは別れたけれど、私たちがひとつのファミリーであることは変わらないのよ」なんていう風に教える台詞がちりばめられている。
 当然ながらシングルペアレントがつきあうのは、「子どもともうまくやれる人」ということになる。関わってくる大人全員が精神的・感情的に成熟していないと、かなり難しい。でもうまくすると、成熟したしっかりした大人4、5人に愛され、多様な生き方にふれることができて、子どもにはおトクな状況が生まれたりもする。数日前に「同居していた男(シングルマザーの恋人か)が子どもを殴って死なせた」とかいう日本のニュースを聞いたが、たいへん腹立たしい。親になる人には、児童心理や発育について教育する必要があると思う。
 
 過去からのいろんなbaggage(お荷物)をしょっていても、恋愛やコンパニオンシップを求めるのは、私はよいことだと思う。誰かを好きだという思いは気持がいいし、毎日をとても明るくしてくれるからだ。この文章を読んだら、こないだの彼も、私の気持をわかってくれるだろう。日本語読めないから無理だけど(笑)。
 
 
 


 

 ドキュメンタリー番組の取材で、ワシントンDC、ナッシュビル、ラスベガスとまわってきた。
 DCのダレス国際空港は「イオンスキャン」とかいうセキュリティシステムを使っており、セキュリティゲートに入ると四方からプシュッと空気が発射される。なんか病院検査っぽくてものものしかった。ワシントンDCはすべてが四角くてグレー。国立なんとかかんとか、米国ふんたらかんたら、と名前のついた、堅牢で重厚な建物がエンエンと続く。
 いかにもお堅いDCで泊まったのが、Tabard Innというホテル。その昔、3世帯の家屋だった建物をホテルに改造したもので、全40室はひと部屋ひと部屋、サイズも装飾もばらばら。1900年前後の調度品が多いという以外は、素人の私からみてもなんだか様式の統一感に欠ける。でもちぐはぐも極めれば、それなりのスタイルになるから面白い。テレビもなければ冷蔵庫もない(ワイヤレスインターネットはある)ので、部屋はしーんとしている。日本から到着したディレクターも、「何なんだこのホテルは、面白いなー」。
 伝統的に左派のインテレクチュアルが集まっていたとのことで、数年前までこのホテルのラウンジは、世界各地から取材にやってきたジャーナリストのたまり場でもあったとか。レストランで朝食をとっていたら、同じくSFから来たというベテランジャーナリストが隣に座って、いろいろ教えてくれた。
 Tabard Innはレストランが有名で、最低でも1週間前に予約しないと入れないそう。価格もリーズナブルなので、次回DCに行ったらぜひ食べてみたい。
 
 テネシー州ナッシュビルは、私の生まれ育った秋田県を思わせるのどかさ。タクシーもホテルもお店も、応対が丁寧でうれしい。取材先までの道中、牛がのんびり草をはむなだらかな風景に癒される。立ち寄った食堂で食べた、サルズベリーステーキの6ドルランチがすごくおいしくて感激。ガソリンもサンフランシスコより1ドル/ガロンも安いんではなかろうか。さらにメノナイト派のお店に連れていってもらい、お買い物。保存のきくおいしそうなホームメイドの食べ物がたくさんあって、目移りする。
 とはいいながら、高級住宅街にはミリンダラーの巨大な屋敷がどんどん新築され、高級ブランド店が並ぶショッピングモールも開店している。ブランド願望のない私は驚愕することしきりだ。一体どんな人が住んでるのか聞いたら、金融関係者やビジネスオーナーとかという返事だった。
 夜、ダウンタウンのホテルに戻り、お風呂にお湯を入れていたら、サンフランシスコから電話が。「史上最大規模のトルネードがナッシュビルダウンタウンを直撃するってニュースで言ってるよ。フロントに電話して避難が必要か聞いた方がいいよ」。うひゃー。廊下でアラームが鳴り、ウェザーチャンネルは見ていたけどあまり気にしていなかったら・・。反省!
 フロントに電話しても誰も出ないので1Fに降りてみると、宿泊客もフロント係もダイニングエリアに集まって、ニュースを見ている。でも緊迫した雰囲気はなくゆるい。窓の外ではぶっとい鉄柱がぶるんぶるん揺れている。ほどなくして台風はニアミスで通り過ぎたのだけど、翌朝のニュース映像を見て「昨夜はほんと危なかったんだ」と実感。エリアごと巨大な掃除機に吸い上げられたような破壊力なのだ。ひえー。アメリカ出張中は、お天気にもっと気をつけなくちゃだ。
 ナッシュビルの搭乗ターミナルにはパブがあって、ミュージシャンがカントリーロックを生演奏していた。んー、いい感じ。ビール飲みたかったけど、我慢して出発。
 
 最終目的地ラスベガスには、夜中に到着。到着エリアにも出発ターミナルにもスロットマシーンがある。数週間前、この空港でミリオンダラー以上を当てた人がいるそうだ(当然飛行機には乗り遅れた)。眠くてぼーっとした頭を、派手派手しいCMが繰り返しながれる巨大スクリーンが出迎えてくれる。「ここってほんとにすべてがover the top。。」と感心するやらあきれるやら。
 ハワイアンシャツを着たタクシーの運転手が「オレはここに30年住んでるけど、よそにゃ住めないね。なんでってfreedomがあるからだよ。ギャンブルだろうが銃だろうが規制がない。自由なんだ」とのたまう。ワイルドウェストである。
 ホテルに到着したのは夜中1:30ごろ。なのにカジノの隣でガガガガ・・と改装工事をしていて、冗談かと思った。ベガスは24時間眠らない街っていうけど、工事の時間すら規制がないのね。・・と、タクシー運転手の言葉が現実味を帯びてくる。
 自由時間があったので、近隣のホテル&カジノを見学してまわる。ホテル内で本物のライオンは飼ってるわ、ピラミッドは建てちゃうわ、ベネチアはあるわ、まぁ要するに「ベガスに来れば世界一周できる」ってのがテーマなんでしょうか。さらに巨大なシティセンターなるプロジェクトが進行中で、著名な建築家5、6人を雇用して、コンドミニアム型ホテルだのなんだのを建築している。
 ベガスはここ数年、成長が著しいとかで、家族で移住してくる人が多いそうだ。ホテルで働いている人を見ても、色んな国の人がいる。メキシコ、中国、サラエボ、などなど・・。あるホテルのベルマンは「難民もたくさん働いている。祖国が敵対している人たちが一緒に働くことになったりすると、うまくやるには時間がかかる。でも何年かするとわだかまりも消えて、仲良くなってるよ」と言っていた。
 メキシコ人のタクシー運転手が「日本に行ってみたいなー。でも貧乏だから行けないなー」と言うので、「この辺の家賃ってどれくらいなの?」と聞くと、「僕んとこは2ベッドルーム、プール付きで950ドルだよ」。・・どこが貧乏なんじゃい!! 
 夜はMGMグランドで「シルク・ド・ソレイユ」のショー「KA」を観た。彼らのショーの中で、舞台装置に最もお金がかかったショーだろう。炎は上がるわ(よその州では規制されそう)、垂直の舞台が回転するわ、ハリウッドのノウハウが詰まった感じだった。でもおかげで彼らの持ち味の身体性が薄まってしまい、私的には今いち。次に来た時は、もっとシンプルなショーを観たい。
 
 ラスベガスからサンフランシスコに戻り、正気を取り戻すというか、普通さにほっとする。
 昨夜出かけたら、フェリービルディングのそばに10〜20代の若者が数千人か集まり、Pillow Fight大会をやっていた。そこらじゅう雪が積もったように、羽根で真っ白になっている。今年で第3回目とのこと。誰が掃除するのかがちょっと気になったが、みんなはしゃいでいた。無邪気である。
 物価を考えるとよその州に移り住もうかしらと思わないこともないけど、しばらくはSFから出張して歩く生活になりそうだ。


 


 日本行きの飛行機で、見逃していた映画『Into the Wild』を観た。
 恵まれた環境で育った青年が、大学卒業後、将来を約束されたコースを捨てて、貯金も寄付してヒッチハイクしながら荒野の世界に入って行く。アラスカで遺体で発見された、クリス・マッカンドレスという青年の実話がもとになっている。
 小さな画面だったにも関わらず、巧みな構成、書物の引用をちりばめた言葉の扱い方、主人公のサバイバルを描く描写の丁寧さ、繊細な音楽(エディ・ベダー)など、ディテールに感激した。
 圧倒的な国の広さを感じさせる自然や都市の描写、物質主義や親の有り様を許せない若さと純粋さ、旅先で知り合うさまざまな’大人’が見せる生き方や価値観、血縁以外の家族や自分の帰る場所を見つける過程、またそうした’大人’の日常に’純粋な主人公’が与えるインパクトなど、究極のアメリカン青春ロードムービーを成す要素がぎっしり。
 小さな独立系映画館で封切られて評判を呼び、続いて大手チェーンの映画館でも公開された、実力のある作品だ。ショーン・ペンは好きな俳優/監督だが、この映画の脚本と編集のすばらしさに、ひいき目なしに見直した。
 
 そして帰りのフライトで、『Into the Wild』の原作を読んだ。この映画の話をしたら、原作を読んでいた友人が文庫になった『荒野へ』をプレゼントしてくれたのだ。
 作者のジョン・クラカワーは、自らも登山家だそうだ。主人公のクリスの生き方と死に対する考察と取材力の幅広さ・深さに、この人でなければ書けなかった本だと感じる。
 
 この本と一緒にフライト中に読んだのが、梅田望夫さんの『ウェブ時代をゆく』だ。その中に出てくる’けもの道’という言葉が、なんだか先の『荒野へ』と、無理やりつなげようと思えばつながるような気がした。
『荒野へ』の主人公、クリスの生き方を見た(読んだ)時に、「日本で社会を拒絶して家にひきこもる人たちの数パーセントは、もしもアメリカに生まれていたら、クリスほど極端なやり方ではないにしても、荒野へ入っていく行動をとるのでは」と感じたせいもある。
 クリスは知的で如才なく、勇気もあった。やがて荒野を後にして、社会の中に自分だけの’けもの道’を開くことができただろう。だが不運なことに、アラスカの荒野の中で亡くなってしまった。
 クラカワーは、息子を医師にしようとした父親の期待に応えられず反抗した自らの生い立ちと、危険な山を上る時の精神状態や感情も描いていて、それがこの本の重要なポイントとなっている。クラカワーが歩いたベストセラー作家への道は、高く険しい見事な‘けもの道’だと思った。

荒野へ (集英社文庫)

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ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

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