sasajun2007-12-07

Room to Readのジョン・ウッドさんが来日し、以前のブログエントリー『マイクロソフトを辞めて世界を変える 〜ジョン・ウッド氏』へのアクセスが増えているので、オンラインで見られる記事へのリンクをつけておきます。
 
LINKCLUB NEWSLETTER 11月号 『教育という贈り物を子どもたちに』
http://info.linkclub.or.jp/nl/2007_11/P02-05.pdf
 
BOOK CLUB KAI 『Interview with ジョン・ウッド(Q&A式)』
http://www.bookclubkai.jp/interview/interview.html
 
ちなみに、今週Room to Readのスタッフに追加インタビューし、運営面からも面白い話が聞けました。今はスタンフォード大が出版しているsocially responsible businessの出版物『Stanford Social Innovation Review』のために、Room to Readの記事を書いています。
英語で書くのは大変ですが(汗)、Room to Readの手法のエッセンスをきちんと伝えるべく、がんばらなくては・・!

マイクロソフトでは出会えなかった天職 僕はこうして社会起業家になった

マイクロソフトでは出会えなかった天職 僕はこうして社会起業家になった

sasajun2007-12-02

 写真は、レッシグ教授とジンボさん。
 昨夜、ウィキペディアのジミーさんとiCommonsのヘザーさんがホストするパーティに行ってきた。2人は来年にかけて世界各地で’パーティツアー’を行なっているのだが、そのサンフランシスコ/ベイアリア編が昨日だったのだ。
 9時ごろ会場に着くと、ジミーさんもヘザーさんもすでにいい機嫌だった(ていうか、お酒が入ってなくても基本的にいつも機嫌よさげな人たちなんだが)。
 ライブ・カラオケ・バンドがきていて、みんな80年代の曲を歌っていた。風邪をひいてたので、ジミーさんの歌を聞く前に帰ってきたけど。
  
***
  
 で、きのうのSF Chroniclesに、ウィキメディア財団がフロリダからSFに移転したことや、新しいウィキペディアのシステムについて、ジミーさんのインタビューが載っていた。web2.0のコミュニティづくりに参考になると思う。以下、その概要。
 
ウィキペディアに変更の予定はありますか?
ー新しい人が編集を入れた時に、まずコミュニティが見て確認してからでないと、変更が反映されないようにする。まずドイツ版で実験的にやってみる。ドイツを選んだのは、英語版に次いで規模が大きいことと、質についてウルサイ人が多いことが理由。ウィキペディアの荒らしは、いたずら目的で起きる。いたずらしてもコミュニティの一部の人にしか見られないとなったら、やりがいがなくなるのではないか。反面、人というのはすぐに結果を見たいものなので、自分の編集がすぐに画面に反映されないとなれば、他の人たちのやる気もそぐかもしれない。やってみないとわからない。
 
そのやり方だと民主的でなくなる恐れがあるのでは?
ー世の中にはidiotとそうでない人がいることを認めて、いい人たちがクオリティをコントロールできるよう、力を持たせなければならない。でもウィキペディアは常にフラットにやってきたし、新しい人たちの参加に対しオープンにしてきた。今のシステムの弱みも強みもわかっているので、強みを殺さないようにしつつ、弱みに取り組んでいきたい。
 
ランキングとかユーザープロフィールとか、web2.0的な要素を入れる予定は?
ーおそらくない。ユーザーを評価することには、メリットを感じていない。名前バッジの着用を義務づける職場があって、しかもそのバッジに自分を気に入っている人・気に入らない人が何人いるかまでも書かれているとしたら、それはヘルシーな環境とはいえない。ポイントシステムというものが何かしらあると、人というのはそのポイントを上げるためにできることをやり始めるものだ。でもその行動がいいものとは限らない。
 
今はWeb2.0バブルなんでしょうか?
ー今回のブームは、今のところ前回よりもずっとまっとうな感じがする。有効に機能するビジネスモデルもあるし、企業には収益を上げる方法が見えてきている。実際には全部の企業が収益を上げるわけではないだろうが。また、批判されるのももっともだと思う企業も中にはある。トラフィックを上げていずれグーグルに買ってもらうことをビジネスモデルに会社を作っているとしたら、おそらく問題があると思う。
 
ウィキペディアの真似をして、ユーザ・コミュニティがサイトを編集できるようにする他のウィキサイトについて、どう思いますか?
ーいいことだと思うし、もっと増えてほしい。人々が恊働できることは山ほどある。目立たない内容も当然出てくるが、それは書店で鳥に関する本がベストセラー1位にならないのと同じこと。例えばバードウォッチングガイドみたいな情報は、アマチュアの愛好家が集まれば、編集もアップデートも簡単だと思う。もっともっとそういうことが起きていい。
 
ある程度まできたら、みんな「もう書くことがない」と思うのでは?
ー以前はそう心配していた。英語版では、何も書かれていないエントリーを探すのがすでに難しくなっている。でも、参加者数は全く下がらず、依然として上昇している。
 
いつか人々は「無料で書くのはもう嫌だ。お金がほしい」と言い出すのでは?
ーそれを思わせるようなことは、全く起きていないが・・。私が主張していることのひとつに、「crowdsourcing」への反対、がある。クラウドソーシングは「一般の人たちに自分たちの仕事を無料でやらせることが、いいビジネスモデルだ」というとんでもない考え方で、きわめて下劣な世界観だと思う。人を尊重してないし、騙して無料で働かせるのと同じだ。
 人々に来てもらって、やりたいことをやってもらうために、良い場所を提供する。それがこのビジネスだ。広告料を使ってソーシャルな場をつくり、楽しんでもらうためにツールと環境を用意する。それが認められれば、人々が集まるようになる。その副産物として見事な創造物が出てくれば、それはそれで素晴らしいことだ。
 
***
 
私的には、「世の中にはidiotとそうでない人がいることを認めて、いい人たちがクオリティのコントロールをできるよう、力を持たせなければならない。」と明言してるところが、すごくエライと思った。

 アメリカのティーネージャーは早熟そうなイメージがあって、最初は話すのがちょっと恐かった。実際に時間を過ごしてみたらそれは完全な偏見で、むしろ日本の子よりも無邪気な感じがすることも多々ある。本や映画の感想を話し合ったりもするのだけど、盛り上がるのは同じ音楽が好きだと知った時だ。

sasajun2007-11-22

 で、ティーネージャーにすごく人気のあるのがLinkin Park。デビューした時から私も大好きなバンドだ。
 
 96年に結成。ウェブサイトを起ち上げてMP3ファイルをアップロードした。この時まだ20歳前後。他のウェブサイトやチャットルームで告知をしてサイトに人を呼び、曲を聴いてもらってフィードバックを求めた。聴いた人たちから「こっちに来てライブやってよ」と言われるようになり、他の州にも行くようになった。評判が広がり、「もっと曲が聴きたい」「宣伝に使うものを用意して」とリクエストが増えた。
 いつのまにか世界中に’現地の応援チーム’ができていて、自主的にプロモーション活動をしていた。現在のファブクラブ、LP Undergroundのもととなった彼らは、高校生大学生を中心にかなりの数にのぼっていて、とても熱心に活動していたそうだ。ニューヨークには1,000人以上いたらしい。また、スウェーデンのような国のファンから「宣伝のために配りたいから、Tシャツやステッカーを用意して」と連絡が来たりしていたという。
 リンキンはライブを行なって得たお金でテープを作り、ファンの子たちに送った。その子たちが他のコンサートに行き、会場から出てくる人たちにテープを配った。こうして多数のファンを獲得していたにも関わらず、メジャーデビューまでは苦労したそうだ。ほとんどの大手レコード会社は見向きもせず、音楽業界での評判も今いち。随分失礼な断り方をされたりもしたという。「業界人はわかってないし、わかんない奴に用はないと思ってた。自分だったら絶対に買うレコードを作っている自信があった」(マイク)。
 
 最終的にはワーナーブラザースと契約し、デビューアルバム『Hybrid Theory』が1,400万枚を売り上げ、2001年最も売れたCDになった。ネットのファイルシェアリングを含めたら、2000万枚になると推定されるという。
 2003年に世界ツアーを行なった時、リンキンはLP Undergroundのために何都市かの小さな会場で無料コンサートを開き、実際にメンバーに会ってお礼を言ったそうだ。
 
 リンキンは超メジャーになったが、初期の彼らと同じようにウェブでCDや曲を宣伝販売し、ツアーブログを書き、ライブ会場でファンとふれあいながら、音楽活動を続けているミュージシャンはたくさんいるだろう。大レーベルと契約してメガリッチにならなくとも、「好きなことをして食べていける」人が増えるといいなと思う。
 
 ・・で、リンキンの魅力はというと、「ロック、ラップなど色んな要素のまじった構成」「ハードだけど汚い言葉使いがない」「一緒に歌えるキャッチーなメロディ」など、いろいろあるのだけど、私的には鼻歌したくなるメロディーと一緒に頭に残る、ちょっと重たい詩がたまらない。
 どういう創作プロセスかというと、大抵は曲を作ってから、中心メンバーのマイク・シノダとチェスター・ベニングスが詩を一緒に書くそうだ。マイクはインタビューでこう言っている。
 「僕らは違う経験をしているから、詩を書く時はお互いに違うことを考えている。だけど先に深く進む前に話し合って、内容が矛盾しないようにしている。僕らの歌の内容は、僕だけの考えでもなく、チェスターだけの考えでもなくて、その真ん中へん。それが曲に普遍性を与えているんだと思う」
 「チェスターはよくこんな風に例える。’交通事故に遭って入院したとしたら、孤立して寂しくなるだろうし、きっと色んなことを感じるだろう。それを詩にしてみよう。’ 僕は交通事故に遭ったことはないけど、自分なりに似たような経験はある。僕らが詩を書く時に表現したいのは、そのコアな感情なんだ。何が起きたかっていう話よりも、その気持の方が、僕らには大事」
 
 リンキンには「今まで感じていたけど、どう言葉にしていいかわからなかったことを、歌にしてくれてありがとう」という感想が、ファンからたくさん届くそうだ。私も時々、曲を聴いていて泣きたくなることがある。『Numb』を聴いた時は、「こんな気持で親を見ている人も多いだろうな」と思ったし、『Somewhere I Belong』には引きこもりを思わせるような孤立感を感じた。 
 最新アルバム『Minutes to Midnight』からヒットした『What I've Done』は、「これまでの自分たちの音楽に別れを告げる意味をこめた」曲そうだが、ビデオには戦争や環境汚染などの記録映像が使われ、過去の人間の行ないとその皮肉な結果を見せている。
 
参考サイト
http://www.nyrock.com/interviews/2003/linkin_int.asp
arts.guardian.co.uk/fridayreview/ story/0,,918125,00.html
 

Minutes to Midnight

Minutes to Midnight

 1週間ほど、NYに行ってきた。

sasajun2007-11-03


 8月に就航した「ヴァージン・アメリカ」に乗っていったのだけど、フライト・アテンダントがやたらとフレンドリーだった。たまたまフレッド・リードCEOが同じ便に乗っていて、ラッキーにもその場でインタビューさせてもらえた。
 どうしてサンフランシスコを本拠地にしたのか聞いたら、「自分たちのエアラインの価値観を理解できるスタッフが見つけやすいことも理由のひとつ」とおっしゃっていた。リード氏は自身がベイエリア出身。カリフォルニア人らしくざっくばらんな方で、ビール片手に話してくださった。ヴァージン・アメリカは、個人的には超オススメのエアラインだけど、その話はまた今度・・・。
 
 ニューヨーカーに時間を聞く時は、「May I ask what time it is or should I go f**k myself?」と言うのが適切、というジョークを聞いたことがある。時間を聞かれただけでも迷惑がるニューヨーカーの不親切さを誇張してるんだが、んなことないだろうと思っていたら、冗談みたいな店員に遭遇した。
 
 サイバーショットからマックに画像をダウンロードするケーブルを忘れたので、泊まっていたアパートの近くのソニースタイルに買いに行った。見回すと店員さんがひとりいた。やけに光沢のあるネクタイをつけ、妙に髪型に気合いの入ったお兄さん。顔に表情がない。避けたいタイプだが、しょうがないので聞いてみると、即座に「このカードリーダだ」と商品を渡された。対応OSが古っちいし30ドルもするので、「もっと新しいのないんですか?」と聞くと、またも即座に「ない」。無表情のまま、声も抑揚なし。信用できない感じ。でも急いでたので、しかたなく買った。
 
 お兄さんはレジカウンターに入ると、無言でクレジットカードを受け取り、無言でカードのスリップを私の前にさしだし、私がサインすると無言で回収した。その仕草が、いちいち微妙に芝居がかってるのだ。最後に商品をショッピングバッグに入れると、指先でバッグを突いて私のほうに滑らせてよこした。映画で見る、バーのカウンターでコースターをすべらすような要領だ。本人的には、すごくスタイリッシュなつもりなのか。この人、お客さんに「Thank you」なんて絶対言わないんだろうな。ま、体験としては、面白いといえば面白かったけど・・。
 
 でもなんだか納得できず、翌日、友人にB&Hというショップを教えてもらって16ドルの新しいカードリーダを買い、ソニースタイルのものは返品にいった。今度は違う店員さんだった。手間はかかったけど、すっきり。
 
 日本に来る外国人が、「日本のお店はどこも店員さんがいっぱいいて親切だ」とよく喜んでいるけど、こういう環境から来たら、そりゃそう思うだろう。
 
 そういえばNYにいる間は、レジで「How are you today?」とか聞かれなかったな。サンフランシスコではいつも聞かれるし、スーパーでチョコレートを買ったらレジの男の子に、「あ、これうまいんだよね〜。今度○○の味も食べてみ。すっごくいけるからっ!」と言われたりとか、そんなこともたびたび。やはり土地柄なんだろう。
 
 接客の話ついでに。***

 先日、近所で銀行口座を開いた。友人に勧められて、Washington Mutualにした。
 担当してくれたのは、カレッジを出てほやほやという感じの、かわいらしい女性だった。名前はロージーさん。
 ロージーさんは、口座のことなど一生懸命説明してくれる。色んな質問にもマニュアルをひっくり返さずにきちんと答えてくれるので、真面目に勉強してるんだなと思った。
 
 IDチェックとしてパスポートをぱらぱらめくると、ロージーさんは声をあげた。
 「えーっ。あなた、本当にこの年なの?』
 アメリカではアジア人は若く見られるので、こういうリアクションには慣れている。というか、時々あまりに気まずいので、もう少し大人っぽい服装をした方がいいかなぁと考えることもある。 「フィリピン人とか日本人の女の人はいいな。肌が年とらないもの。うらやましい」とかなんとか言いながら、ロージーさんは手続きを始めた。
 
 私のビザの内容を確認して、ジャーナリストだと知ると、身元チェックなのか、好奇心がわいたのか、お客さんとフレンドリーなリレーションシップを築こうとしてるのか、「どんな記事を書くんですか? どうしてサンフランシスコに来たんですか? 英語はどこで勉強したんですか? 日本に行くことはある? 何年くらいこっちにいる予定? 家族は?」と、質問が続く。ひとつひとつの答えの内容が物珍しいらしく、ぱっちりした目をくるくるさせている。しまいに「とっても勇気があるんですね。ひとりで引っ越してくるなんて」と言った。
 
 で、パスポートを見ながらデータをコンピュータに入れる段階になった時、聞かれた。
 「Tokyo?」
 「Yes, Tokyo.」
 「And your last name?」
 ここで気づいた。彼女は私のfirst nameがTokyoだと思ったのだ。
 「名前はJunkoで名字はこうで、Tokyo, Japanでビザが発行されたんですよ」
 と言ったら,
 「こういう査証って見た事ないもんだから・・」
 と、もごもご。
 
 私だって例えば中国語やタイ語で地名や人名を聞いてもよくわからないんだから、別にいいよと思うんだが、ロージーさんはちょっと緊張してしまったようだ。その後、何度か「Chinaでは・・」と言いかけて言葉をとめた。「Japan」という国は、彼女の中ではとても薄い存在で、Chinaとごちゃごちゃになっているんだろう。
 
 帰り道、思った。アジア系の多いサンフランシスコでは珍しいことなんだけど、「外国人に会った時のアメリカ人」のリアクションを、久々に目の当たりにしたなぁ。そういえば、ロージーさんは「コネチカット出身だ」って言ってたっけ。アメリカのまんなかの州に住んでいるアジア人や、日本に住んでる外国人は、しょっちゅうこういうリアクションに遭遇してるのかもなぁ。
 
 

 パワーハラスメントに初めて労災認定の判決が下りたことを、ネットのニュースで知った。
 
 海外に住んで時間がたってくると、日本で起きているニュースがすごく現実離れした、フィクションみたいに思えることがある。同じくニュースの見出しに並んでいた、「野球ボールにプールの中の生徒に拾わせ、その中の’当たりボール’に書かれていた猥褻な言葉を女子生徒に読ませた男性教師」などは、まるでコメディセントラル・チャンネルで毎日やってる政治風刺ギャグ番組、Daily Showのシナリオライターが書いたネタみたいだ。
 
 亡くなった部下の方は鬱状態にあったのだろうが、部下という他人に暴言を吐いて自分の鬱憤を晴らさずにいられない側も、それこそかなり病んでいると思う。職場であれ家庭であれ、相手がこういうことをするとか、ここが気にいらないとか、理由はいろいろあるかもしれないが、特定の人間に対してむしゃくしゃしてしょうがない/怒りを吐き出さずにいられない状態が続いたら、間違いなく自分の中に何かしら、その相手とは関係ない理由があるはずだ。
 ニュースになったオフィス全体が、というか、企業全体がこういう行動を許容する風土でないことを願う。しかも製薬会社なのだから、まず自社社員の健康を大事にしてほしい。それもCSRの一環だと思う。(私が株主ならがっかりするよ。)
 暴言を浴びせ、いじめて士気を鼓舞する、というのは、なんだか度量のない素人がにわかにリーダーになった軍隊のやり方を想起させる。戦争に関するドキュメンタリーを作った友人が、大量の文献を調べた結果「酷い行為は、無知で訓練を積んでいない素人がリーダーになった場合に起きやすいと思った」と言っていたが、社内の酷い行為 ー非現実的で無理な目標設定とか、肉体を酷使する労働体系とかー にも、似たような部分があるのかもしれない。酷いだけでなく、ビジネスとして非合理的だと思う。
 
 友人のコンサルタント、ロッシェル・カップさんから聞いた話では、日本企業の米国工場などのマネージャーが、日本で部下を「馬鹿もん!」と叱りつけるのと同じ感覚で、アメリカ人の部下に「You stupid!」などと怒鳴ってしまい問題になることが、以前は多かったそうだ。米国の職場では、個人の人格を否定するような言葉は許されていないからだ。最近は海外へ赴任する日本人や、海外から日本に赴任する外国人に研修を行なう企業が増えてきて、そういうことも減ってきたようだが。
 
 日本人は忍耐強いと思うけれど、自分の健康を損なうほどの我慢は自虐であり、美徳ではないはずだ。仕事は自分の人生の大切な部分ではあるけれど、だからこそ、自分に害のある環境に無理してふんばる必要はないと思う。

 いつも思うのは、ポップサイコロジーという分野の読み物や考えが、日本にも必要なのではないかということだ。英語にemotional growthという言葉があるが、いろんな事件のことを読んでいると、この人は感情の発達が十代で止まってしまっていたのかなぁ、と思われることがある。(これを英語でarrested development=発育遅滞)と言うそうだ。)
 大人になり、知力と精神力が高まると、感情面も自然と大人になるかというと、そんなことはないだろう。感情のコントロールには意識的な努力が必要だし、そのためには感情の働きや自分の振る舞いが他者に与える影響について、ある程度、知識がなければならない。
 「日本では心理学というとだいたい恋愛もののことをさすし、それしか売れない」と、ある編集者の方がおっしゃっていたが、そうだろうか。「心の問題」という言葉でひとくくりにされる問題をもっと詳しく分析的に知りたいと思っている人は、けっこういるのではないか。必要なのは、わかりやすい言葉でパワフルにこの方面の知識を伝える、カリスマティックな心理学者かもしれない。日本人の知的好奇心をもってすれば、基礎的な知識はあっという間に広まるような気がする。いくつもある占いの番組のかわりに、ひとつくらいDr.Philみたいな番組があったっていいんじゃないかなぁ。
 

 先週末、とても楽しみにしていたイベントに連れていってもらった。その名もThe Rolling Stone Ex-Employee Reunion。『ローリング・ストーン・マガジン』で働いていたジャーナリスト、エディター、デザイナーたちが、30年ぶりで集まったのだ。

sasajun2007-10-05

Rolling Stone Magazineは、1967年、サンフランシスコで誕生した。ヤン・ウェナーが音楽ライターのラルフ・グリーソンを誘って、「音楽のことだけでなく、音楽が表現するものやあり方について書こう」と始めたもので、第一号の表紙は映画『How I Won the War(ジョン・レノンの僕の戦争)』中の、ジョン・レノンのスチール写真だった。
 
ベトナム戦争公民権、女性の権利等などの社会問題に対し、声をあげはじめた若者の雑誌だった。創刊号から大評判になり、他の都市から注文が来た。スクープで物議を醸し、斬新な視点の記事で賞をとり、後年重要な仕事をすることになる多数のジャーナリストが巣立っていった。ヤン・ウェナーは若い才能を発掘する天才だ。
例えば日本でも有名なジョン・レノンとヨーコ・オノのポートレートなどを撮った、写真家のアニー・リーボヴィッツ。アジア系としておそらく初めてジャーナリズムの世界で名をなし、業界人なら知らない人はいないベン・フォン=トーレ。映画『Almost Famous(あの頃ペニー・レインと)』は、15才でライターとしてデビューしたキャメロン・クロウの自伝的な内容で、当時のローリング・ストーン・マガジンの様子がよくわかる。また、ジョニー・デップが主演した『Fear and Loathing in Las Vegas(ラスベガスをやっつけろ)』は、gonzo(独断と偏見に満ちた) journalist、ハンター・トンプソンの本をもとにしている。
 
1977年、ウェナーは本拠地をNYに移した。80年代以降、同誌は政治的なエッジを次第に弱め、映画スターなどのセレブを扱う割合が増えた。このため離れた読者もいるし、批判もされた(近年はまた、政治の記事がやや増えてきたらしい)。商業的にはたいへん成功し、現在の発行部数は120〜130万。さらに13カ国版が発行されている。日本でも1973年から3年間、出版されていたそうだ。今年再刊され、東京の地下鉄を歴代の表紙の中吊り広告で埋め尽くした。
 
 『Almost Famous』を観るとわかるが、この雑誌の表紙を飾ることは成功の尺度であり、ミュージシャンの夢でもあった。今でもある程度はそうなのかもしれない。60年代から今日までの表紙を並べてみると、時代がくっきり現れていて面白い。(それにしても、アニー・リーボヴィッツが撮ったミュージシャンたちの写真の素晴らしさといったら・・!)
 
***
 
さて、この「同窓会」は週末の3日間に渡って行なわれ、全米から参加者がサンフランシスコにやってきた。1967〜1977年の間にサンフランシスコのオフィスで働いた人たち、つまりカウンターカルチャーベビーブーマー世代が100人近く、30年ぶりに集合した。このイベントのために本格的なプログラム一式が用意され、さらに創刊時の新聞スタイルで、ex-employeesたちが寄稿した『RSX』という読み物が印刷された。あちこちから取材の申込があったそうだが、全部断ったそうだ。
 
初日は、3rd St.にある、昔のRolling Stone Magazineのオフィスで、顔合わせパーティ(現在そこを借りている会社が、場所を提供してくれたとのこと)。その後、ベン・フォン=トーレ率いるカラオケ大会があったとか。
翌日はRoxyという劇場で「Antacid Flashback」というイベントがあり、’70sロックにのせて、働いた人たちの写真を編集したビデオが上映された。写真が変わるたびに、拍手があがる。当時のオフィスの写真がやたらかっこいい。エディターやカメラマンが、遊びでよく撮っていたらしい。
その後、十数人がスピーチをしたが、言葉のプロだけあってさすがみんな話がうまい。ハンター・トンプソンとヤン・ウェナーのとんでもない逸話が続き、会場は大いにわいた。話を聞いていると、ウェナーは才能があると思えばいきなり大きな仕事をまかせたが、気にいらなければ、あるいは意見が会わなければこれまたいきなり「You’re fired!」とクビにする無茶苦茶な経営者だったようだ。誰しもlove-hate relationshipに陥ってしまうような、悪魔的かつ魅力的なキャラクターらしい。
 
午後のいくつかのイベントの後、夜はノースビーチのレストランで最大のイベント「No Talent Show」があった。普通のTalent Show(演芸会)の反対で、芸のない人たちがしょーもない芸を披露するというもの。ウェナー氏から贈られたシャンパン数ケースを飲みながら、みんなちゃんと、芸のない芸をにこにこ・キャーキャー堪能している。ド下手なバイオリン演奏あり(曲と衣装は『フリントストーンズ』だった)、意味不明な詩の朗読あり、ボブ・ディランの物まねあり。「ノー・タレント」のルールを破って、本物のミュージシャン(ダン・ヒックス)も登場した。
最終日の日曜日は「Stone Soul Picnic」と題し、クリッシー・フィールドというビーチで、ゴールデンゲートブリッジを背景にピクニック。タコスとブリトーの貸し切りトラックが乗り付けていた。「The Rolling Stone Ex-Employee Reunion and Picnic」という大きなバナーを掲げて、大々的に集合写真撮影。
 
***
 
長々と書いたが、とにかく「遊ぶのがうまい」人たちなのだ。50〜60代になった今、これだけhave funできるとしたら、当時はどれだけのものだったろう? (何人かにそう聞いたら、みんな「You don’t want to know.」と笑っていた。)それに、気取った人、威張っている人がいない。30年ぶりで会った時に、誰がどれだけ成功したかとか、どう落ちぶれたかとか、誰が老けたとかそうでないとか、そういう話は一切出ない。「(今と比べて)あの頃はよかったなぁ」という、感傷的な感じもゼロ。
参加者が等しく言っていたのは「若いころにあんな時代を経験し、あんな人たちとあんな仕事ができて、自分は本当にラッキーだった。その後の人生においても、Rolling Stoneで経験したことから自分が完全に離れることは、決してなかった」ということだ。
 
実際にあれだけ影響力の強い雑誌を、20代の人たちが作っていたのかと思うとビックリしてしまう。
「世の中を変えたい、変えられる、変えるんだと、本気で信じていた」
「これほど賢い人たちが集まっていた場所はなかった」
「好き放題やってもいたけど、ものすごく一生懸命働いていた」
こういう言葉を、繰り返し聞いた。また、今の彼らに、変わらないエネルギーを感じた。そして、インターネットのはじまりや、オープンソースやフリーナレッジのムーブメント、シリコンバレーベンチャー企業を思い出した。これってきっと、同じエネルギーじゃん!
 
この人たちは、少なくとも「同窓会」に来られるほどに心身が健康であり、経済的に安定している。当時どれだけのドラッグやアルコールが摂取されていたかを考えれば、「同窓生」の中には全く異なる道へ消えた人も、もちろんいるだろう。
でもそれにしても…。才能や成功の度合いは異なるにせよ、彼らの多くが、20代から今の自分へ、一本の線がすっとのびているような生き方をしている、と感じた。
 
***
 
パーティに連れていってくれたデヴィッドはこう言っていた。
「いろいろなメディアの仕事をしたが、Rolling Stoneで感じたような、‘本当に何かが変わる。自分たちがそれを引き起こす一部になれる’という興奮を感じたのは、インターネットが出てきて、HotWiredのエディターになった時だった」
そのHotWired/Wiredのオフィスは、もとRolling Stoneのオフィスがあった建物のはす向かいにある。さらに彼はこう加えた。
ベビーブーマーの世代はme generationと言われているが、振り返れば僕らは本当にweという感覚でものを考えはじめた、最初の若い世代だったのではないかと思う。初めて自由を手にした時に僕らが浮かれてやったことは、自分勝手な選択に見えたかもしれない。でも、それは自分の利益だけを考えているのとは違う。確かにその後、流行を追うようにhippieからyuppieになり、金儲けに精を出したme generationも存在する。だが僕自身の感覚では、僕らはwe generationだ」。
去年Time誌がPerson of the Yearを「You」と決めた時、デヴィッドが「このアホが。Web2.0はyouじゃなくてweだろが。大手メディアはわかっとらん」と言ったのは、この感覚に基づいてのことだったのだろう。
 
 カウンターカルチャーシリコンバレーが、私の中でつながった。そして、年をとるのも悪くないなぁと、心から感じた週末だった。