2年ぶりに

 2年間、ブログを書かなかった。
 いろいろなことがあった。
 喪失があり、発見があった。
 振り返り、人というのは
 きっと死ぬまで成長をやめないんだな
 と感じている。
 
 一番よかったのは
 英語がうんとラクになったこと。
 翻訳も、ものすごく早くなった。
 初対面の人と話すのも
 取材に出かけるのも
 もう昔のように億劫ではない。
 
 米国の状況は大きく変わった。
 その変化の中で、
 アメリカについて
 見えなかったことが見えた。
 いいことも、悪いことも。 
 
 このブログを書き始めたころは、
 サンフランシスコが大好きだった。
 今は当初の恋がさめて、
 好きだったところが反転し
 鼻につくようにもなっている。
 
 この間「I hate San Francisco」でググったら
 かなりの数がヒットして
 たまにこんな気持になるのは
 自分だけじゃないんだなと思った。
 
 来年夏から秋をめどに
 引越を考えている。
 ベイエリアが恋しくなったら
 戻ってくればいいんだし。
 
 2010年も終わるなぁ。
  
 



 

ちょっとしたオバマのリンク集

 新しい大統領が誕生した。
 仕事先の人たちも、友人知人も、今日はとてもうれしそうだ。「Finally, I don't have to pretend to be Canadian.(これでもう、カナダ人のふりをしないですむわ)」なんてメールに書いてきた人もいた。
 
 本当に多くの市民が参加したオバマキャンペーン。ボランティアや寄付をした人たちは、自分たちが変化をうながす力となり、歴史の一部になれたことを実感していることだろう。
 
 オバマがどんな大統領になり、どのように公約を実行し、どれだけのことを成し遂げるか。そんなことの予想はともかく、重要な第一歩として、市民が自分たちで信じ、行動して新しい大統領を迎えたことに、おめでとうと言いたい。
 お祝いに、オバマに人々がどんな期待をしているのか、どんな風に人気があるのかがかいま見られるビデオや音楽、ブログを、いくつか。
 
 moveon.orgが春に実施した「Obama in 30seconds」(30秒のビデオ広告を公募)にエントリーした、『What We Can Draw from Obama』。シンプルでよくできている。豪華な審査員と一般投票により、「Most Original Ad」賞を受賞。
 http://jp.youtube.com/watch?v=K7Dq_TpH7mk
 
 数あるオバマサポートソングの中で、もっとも感動的だと思う『American Prayer』。 マーティン・ルーサー・キング牧師のビデオ引用のあと、最後の「When you get to the top of the mountain, will you tell me what you see? If you get to the top of the mountain, remember me.」という歌詞が泣ける。
 http://www.youtube.com/watch?v=oVi4rUzf-0Q
 
 ダンシング・オバマ。チャーミングな身振りで、なんと372万ビュー。
 http://jp.youtube.com/watch?v=RsWpvkLCvu4&feature=related
 
 ノルウェーの新聞に載った記事を現地在住のブロガーが英訳し、それをアメリカ在住のブロガーが和訳したもの。20年ほど前にオバマに助けられた女性があかすnice little story。
 http://100voices.wordpress.com/2008/10/30/マリーを助けた見知らぬ男/
 
 最後に、11月1日の記事だけれど、村上龍さんのJapan Mail Mediaに連載されいる、冷泉彰彦さんのエッセイ『from911/USAレポート』から、『まぶしい日本』。
 http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report3_1445.html
 引用↓
 「オバマから下の世代にとって、日本は「’一神教的な善悪に言論’ではないポストモダンの文化としての憧れの対象であり、それゆえに孤立しがちなアメリカにとって、唯一顔の見える異文化なのです」
「何よりもオバマという型破りの候補を合衆国大統領に押し上げていった、若者の政治感覚の背後には、そうしたアメリカの伝統価値への反発があり、その受け皿として「クールジャパン」が常に心のどこかで意識されてきたのは間違いありません。オバマ当選という事態の背後には、一種の文化革命、つまり白人至上主義、勧善懲悪の二元論が崩壊していったという現象があるのですが、この文化的なムーブメントにおける日本文化の意識のされ方というのは、日本では想像できないほど大きいと思います。」
 ナルホド!とうなずきながら読んだ。
 
***
 
 きのうの朝、玄関のドアに投票を呼びかけるチラシがかかっていた。
 そこに、オバマのこんな言葉が。
 "I'm asking you to believe. Not just in my ability to bring about real change - I'm asking you to believe in yours." (私はあなたに信じることをお願いします。本当の変化をもたらすための、私の能力だけを信じてほしいのではありません。あなた自身の力を信じてほしいのです。)
 
 近所の投票所まで散歩したら、出勤前に投票する人たちの長い列ができていた。8時にあける予定だったが、並び始めたので開始時間を7時に早めたとのこと。しかも投票用紙が1時間もしないうちにずいぶん減ってしまったので、追加を届けてもらったそうだ。「こんなことは初めてだよね」と、並んでいる人たちが話し合っていた。
 
 大統領としての手腕は未知数でも、市民の心に希望とやる気を呼び覚ますことにかけては右に出る者がいないことを、オバマは実証した。それはリーダーにもっとも望まれる資質のひとつだと思う。オバマサポーターは、これで変化を起こすためのスタート地点に立つことができた。多くの人の意識が変わったことは確かだし、彼らの何パーセントかは、自分が信じるオバマの公約を実現するために、行動し続けるだろう。
 この選挙が、アメリカと世界がよい方向に踏み出すきっかけになりますように。そう意識して努力できる人が、ひとりでも増えますように。。。


 

パウエルのオバマ支持と、市民の反応

 大統領選挙日まで、あと11日。
 現在の世論調査では、オバマが7%かそこらリードしている。「まだ誰に投票するか決めていない」という投票者の間でも、「オバマに傾いている」という回答が上回っている。

 19日朝、コリン・パウエルオバマ支持を表明したと知って、あわててテレビをつけた。支持の理由を聞いて胸のすく思いがしたのは、私だけではないだろう。マケインのネガティブキャンペーンは、あまりに子どもじみていた。オバマがシカゴ大教授のビル・アイヤーズと仕事をしたことがあることを、「テロリストと怪しい関係がある」として、テレビ広告まで出したのにはあきれた。
 (アイヤーズは60年代にWeather Undergroundというラディカルな学生グループを創設した。このグループは富裕層の住むエリアでライオットを起こしたり、政府や銀行に爆弾をしかけたりした。70年代に入り、グループは2つに決裂。潜伏して暴力的な行動を続けようというグループと、「’再浮上して’、社会参加しよう」というグループと。後者をよびかけたのが、アイヤーズだという。オバマがこの人物と出会ったのは、1995年、慈善活動組織を通じてのことだ。またこの組織には、共和党議員も参加していた。http://www.time.com/time/politics/article/0,8599,1847793,00.html )
 
 いつもスゴイと思うんだが、嘘も堂々とつけば本当のこととしてまかり通ってしまう。おかげでオバマイスラム教徒でテロリストと関係があるとか、オバマ社会主義者だとか信じ込んで、ペイリンのスピーチ中に「Kill him!」と叫ぶ輩まで現れたのだからおっかない。公民権運動のころ、リンチにあって亡くなった黒人/白人アクティビストが何人もいたことを思い出して、ぞっとした。
 パウエルは「もしもオバマイスラム教徒だったとして、だから何だ? そんなことを問題にするのは、アメリカの精神に反している。イスラム教徒でも、この国のために闘って亡くなった兵士もいる。」と明言した。パウエルのこの発言は、100 Voicesに掲載されている(映像に日本語訳つき)。
 
 当然ながらこのパウエルの支持表明について、「黒人だから黒人を支持するんだろう」「パウエルは人種差別主義者だ」という右派メディアや議員が現れた。が、少なくともネット上では、市民の反応はかなり冷静だ。「ちゃんとパウエルの発言を聞いたのか。支持の理由を十分に説明して、人種だけで支持するなら10カ月も前にそうしてたと言ってるじゃないか。恥を知れ」「白人のジョー・リーバーマン(以前はゴアの副大統領候補だった)が、オバマではなくマケイン支持に転向した時は、人種差別主義者だとは言わなかったじゃないか」「パウエルの意思決定を人種差別ということ自体が人種差別だ」「市民の知性を侮るんじゃない」などなど。幼稚な攻撃に、共和党支持者を含め、市民がうんざりしている様子がうかがえる。
 
 ブッシュ政権国務長官として、国連でイラク軍事攻撃を正当化するスピーチをしたことを、2005年にパウエルは「lowest point in my life(人生最悪の時)」と述べている。 湾岸戦争の時に「戦争は最後の手段」と無益な戦争に反対したことを振り返れば、この国連のスピーチは本当に悔いの残ることだったのだろう。オバマ支持表明のスピーチからは、「今度は自分の信じる正しいことをする」という自信が感じられた。
 
 4年前、ブッシュが再選した時に、米国内外で多くの人が「どうしてこんなことがあり得るの?」と落胆した。以来、「アメリカを決定的に嫌いになった」「アメリカ人であることが恥ずかしい」という声もよく聞いた。今回の選挙では、投票者の意識はだいぶ違うように見える。
イラク戦争や金融破綻により、ブッシュ政権の言葉を信じて再選させたことによるダメージに気づいた。
共和党候補が選挙のたびに長らく続けてきたネガティブ・キャンペーンが、今回のマケインキャンペーンで頂点に達し、それが個人攻撃をしないオバマキャンペーンと極端な対照をなした。
 これまでの反省のもと、デマに踊らされてはならないという意識が出てきたのかもしれない。
 
 4年前、8年前に、アフリカ系アメリカ人の大統領を迎える準備が、国民の側にできていたかというと、ちょっと疑わしい。ブッシュ政権が国や世界に与えたダメージを目の当たりにして、その反動で「もう今までの政府はうんざり。本当に大胆な変化がほしい!」という気持になったからこそ、オバマがより魅力的に見えるというのはあるだろう。
 歴史上「黒人初の○○」という立場や職業を選んだ人物は、並みならぬ信念をもって、困難を乗り越えてきた。人種差別問題をずっと抱えてきたこの国に、アフリカ系アメリカ人の大統領が誕生することは、長い目で見て、国民の心理に計り知れない影響を与えるだろう。それは、ずっと「無理だよ。できっこないよ」と思ってきたことができてしまった時にもてる、達成感や充実感に似ているかもしれない。何よりも、オバマキャンペーンのスローガン「Change we can believe in.」のとおり、「アメリカは変われる国なんだ」「アメリカンドリームは健在なんだ」ということに、自信が持てるのではないか。国の雰囲気が、よくも悪くもすいぶん変わりそうな気がする。
 
 オバマの大統領としての実際の仕事ぶりと能力は、別の話だ。オバマとマケイン、どちらが政権をとったとしても、こんな難しい時期に大統領になるのだし、うまくいかないこともいろいろ出てくるだろう。
 米国の政権交替を分析し、チャンスを見いだして、日本、アジア、世界のためにプラスになる行動をとる政治家やビジネスマンが、日本からたくさん出てくるといいなぁ。 といったら、Am I asking too much?(多くを望み過ぎ?)だろうか。

Haruki Murakami in Berkeley

sasajun2008-10-13

 UCバークレーで行われた村上春樹さんのイベント、『Haruki Murakami in Conversation』に行ってきた。(写真は翌日、SF市内でのbook signing)
 チケットは完売したそうで、2千人くらい入るZellerbach Hallは満員御礼。観客は10代〜60代まで世代はさまざま、アジア系も多いが白人が中心だった。もちろん日本語があちこちから聞こえてくる。
 
 ムラカミさんは演壇に登場すると、まず小説家になったいきさつを。「29歳で初めて小説を書いて、それが賞をもらって、出版されて、そして売れた。悪くないよね」と、カジュアルでユーモアに満ちた話しぶりに、会場は「えっ?ハルキ・ムラカミってこんな人なの?」と面食らいつつ、すっとひきこまれる。
 
 それから「何年も前に書いたものだけど、2、3週間前に読んでみて、’何も変わってないじゃない’と思ったので」と前置きして、『とんがり焼きの盛衰』を日本語で朗読。これがもうおかしいのなんのって。(続いて司会者のRoland Keltsさんが英語版を朗読。朗読自体もジェイ・ルービンさんの翻訳もすばらしかった。)
 
 その後はQ&Aスタイルで進行したのだが、ムラカミさんが絶妙な間で繰り出す思いがけない回答とジョークに、会場は笑いっぱなし。アメリカで夜にやってるトークショーみたい。ムラカミさん、そのうちデヴィッド・レターマンに出たりして?
 
 「本は長ければ長いほどいい。僕はロシアの作家が好きで、よく読んでいた。カラマーゾフの兄弟全員の名前が言えるんです。言える人は、そうそういないですよ。でも日本では通勤時に電車の中で読むから、長編になると本が重いと文句が出る。なので『海辺のカフカ』は紙を薄くした。すると車内の扇風機の風で、ページがめくれると文句が出る。どうしたって文句が出るんです」 
 
 「車を運転する時はロックを聴きます。好きなバンドはレディオヘッドやREM。一緒に歌うこともあります。……そうそう、泳ぐ時も歌うんですよ。泳ぎに一番いいのは『Yellow Submarine』。 皆さんもやってみるといいですよ」
 「どうやって歌うんですか?息継ぎの時に声を出す?」
 「いや、ぶくぶくしながら……」
なんて感じ。
 
 もちろん深い話もするんだが、重くはならない。以下、エッセイなどにも書かれているが、 覚えている範囲でいくつか書き留めておく。(イベントは英語だったので、このエントリーに出てくる日本語はご自身の言葉ではなく、あくまでも概要です。)
 
*デビューした時はnew voice in Japanese literatureと表現される一方で、punkとかswindlerとも呼ばれた。日本では伝統が重んじられるので、人と違っていると苦労する。読者は最初から受け入れてくれたけれど、『とんがり焼きの盛衰』に出てくるようなカラスが多い日本から出て、イタリアやギリシャに行った。米国で5年過ごした。
 
*神戸の震災とオウム真理教の事件があり、日本に帰ろうと思った。自分はナショナリスティックな人間ではないが、国というよりも人々のために、作家としてできることがあるのではないかと思った。『アンダーグラウンド』と『地震のあとで(神の子どもたちはみな踊る)』で自分は変わった。(その後、後者は米国で’911のget well card’とも評されたそうだ。)
 
*書くことはsimple joy。毎朝キーボードを見るとうれしい。目的をもって書くわけではない。自分は自分のために書いている。書かないと自分の考えはわからない。書いているうちにわかってくる。
 
*執筆はビデオゲームのような作業。自分はプレイヤーとプログラマーを交互にこなす。ひとりでチェスをしているようでもある。
 
*自分が描くような孤立した人物には、人との関係はないかもしれないが、オブセッションがある。それが面白い。
 
*完璧な翻訳はない。でもストーリーが優れていれば、訳でも伝わる。言語学者なら満足しないかもしれないが、自分は小説家だからそれでいい。自分が翻訳する時は、'ほかの人の靴をはいてみるようなもの'。
 
***
 
 最後のコメントはバークレーについて。
「レコードを収集しているので、店をまわりました。16年前に来た時と違って、いいレコード屋は2軒だけになってましたね。ラスプーチンとアメーバ。……両方とも変わった名前だな。……何か変だよ、この町」
 バークレーはほんとに変わった人が多いので、大受けだった。
 
 ムラカミさんは、聴衆を魅了したのひとことに尽きる。1週間前に新作を脱稿されたそうで、「リラックスしてハッピーな気分なんです」とおっしゃっていたが、本当にのびのびした感じだった。(新作は相当の長編らしい。楽しみ。)一緒に行ったアメリカ人の友達が「こんなに素敵な日本人が世界に出てくれて、うれしいね」。ほんとにそう思う。
 
 翌日のサイン会は、店の外壁にそってぐるーっと長蛇の列だった。
 
 イベント前からわくわくし、イベントが終わるのが寂しくて、終わった後はしあわせな気持になった。そういう意味では、Murakami Weekendはムラカミさんの小説を読んだ時と同じ体験だった。 日本語のトークも聞いてみたいなぁ。ムラカミさんのポッドキャスティングがあったらなぁ。

サンフランシスコが恋しい

 日本に帰ってきた。3週間近く東京にいる予定。
 今回は、ちょっと帰るのが億劫だった。
 大統領選挙を5〜6週間後に控え、キャンペーンが盛り上がるアメリカを体験しそびれるのが残念なのだ。
  
 日本の政治になかなか興味のもてなかった私が、なぜ自分の国でもないアメリカの政治に興奮するのかというと、一番大きな理由は、市民の当事者感の違いだと思う。
 SFは民主党支持者の方が圧倒的に多いので、オバマのサポーターたちが活動する様子を、これまでも身近に見てきた。
 スペイン語のサインを作って、ラテン系の多い地区に配ってまわる。
 映画上映会を開いて、その売上げをキャンペーンに寄付する。
 ケーキやクッキーを作って道ばたで売り、その売上をキャンペーンに寄付する。
 家を一軒一軒訪問して、選挙人登録や寄付を募る。
 新しくアメリカ国籍をとった人たちに、選挙人登録を呼びかける。
 コンサートやイベントで、若者に選挙人登録を呼びかける。
 カリフォルニアのオバマサポーターは、お隣のスウィングステート、ネバダ州に週末ごとに出かけては、戸別訪問やイベントブースで、投票を呼びかける。
 平日は、ネバダ有権者に電話をかけて投票を呼びかける。
 そしてこういう活動をするため、近所のサポーターがカフェなどにちょこちょこ集まっては、ミーティングしている。
 
 今週26日夜は、オバマとマケインによる最初のディベートが放送される。大統領候補のディベートは集まって見る人が多く、その夜はベイエリア各所でDebate Watch Partyが開かれる。オバマのサイトで検索したら、うちの近所でも、一般人の家、パブ、公民館、映画館などで開かれる。あぁ、行きたかったなぁ。東京でパーティがないか探してみたら、Democrats Abroadのパーティがあった。
 
 もちろん政治に全く興味のないアメリカ人もたくさんいるし、政治の話は一切しないという家庭も中にはある。でもサンフランシスコに限ってはそういう人は少ない。私のハウスメイトはこの間も「きのうオバマキャンペーンに100ドル寄付した」と言ってたし、友人の友人はオバマキャンペーンのミッション地区の担当をしていた。オバマやヒラリーがスピーチする時は、誰かの家に何人かで集まりピザをとって観てきた。ニュースやイベントのお知らせメールは毎日のように転送されてくるし、私も転送している。この一年、political junkyやactivistに囲まれて暮らしてきて、こういう環境にすっかり慣れてしまった。
 
 政治だけでなくさまざまな分野のアクティビズムが、実際に状況を改善するケースを目の当たりにして、自分たちがひとつの信念に基づいてやったことがインパクトをもち、結果が出るのは、やりがいがあるし面白いなぁと思うようになった。日本のNPO/NGOも、ダイナミックかつ創造的に活動を広げられるようになるといいと思う。
 
 せっかく食べ物のおいしい季節に帰ってきたのだし、友達に会えるのはうれしい。だけど、ちょっと早めにアメリカに戻ろうかなぁ。。。
 
 
 

大統領選とテックポリシー(Craig Newmarkのブログから)

 「次の選挙では、絶対に共和党が勝つことを阻止しなければならない!」という言葉を、リベラルな街、サンフランシスコではよく聞く。そのために、ブログにシリーズで大統領選のことを書く人物も増えてきた。Craig's List(クレイグズ・リスト)の創設者/カスタマーサービス担当、Craig Newmarkもそのひとり。 
 8月に書かれたものだが、大統領選挙とネットに関するポストがこれ。Presidential Tech Policies: Embrace The People Versus Ignore Them
 
ざざっと訳すと、
オバマのテクノロジープランは、市民の関わりや開放性を促すものだ。残念ながらマケインはブッシュ/チェイニーのやり方を踏襲して、民主主義を犠牲にして大企業の特権を助長するものだ。」 
 
「民主主義を守り、強化するためにインターネットを使うことは、歴史的に重要な意味をもっている。これは政府の透明性を高め、ネット上のすべての人を平等に扱うということにつながっている。」
 
「僕にとってはこれは個人的な問題でもある。僕は教師をサポートするhttp://donorschoose.org/や、イラクアフガニスタンの退役軍人を助ける iava.org.などのオンライングループの活動を手伝っている。その活動を通じて、このように考えている。
 *インターネットは(誰かに特別な権限が与えられない限り)、みんなに公平な発言権を与えることができる。
 *インターネットを通じてアメリカ人の声を聞くことは、大統領にとって、国の現状を知る最良の方法だ。
 *インターネットはワシントンで何が起きているかを伝える一番いい方法だ。いいことも悪いことも含め政府がいかに動いているか、たとえば多額の金がいかに法律を作る過程に影響を与えるかなど。
 *インターネットは誰もが参加できる公平な場であるべきだ。通信会社は多大な利益を得ている。みんなに公平に接するべきだ。本格的な規制は必要ない。いくつかガイドラインがあればいい。」
 
 「オバマは政府の活動をオンラインで見られるようにすることを提案している。マケイン/ブッシュ/チェイニーはずっとこれには反対だ。そんなことをしたら、自分たちのキャンペーンとロビイストとの関係や、嘘をついてきたことがばれてしまうから当然だろう。
 ブッシュやマケインのスタッフは、ジャーナリストや人々がこの二人と接触することを避けるために、ずいぶんな労力を使っている。彼らとしては、アメリカ市民をインターネットからできるだけ遠ざけておかなければならない。」
 
 「インターネットをワシントンのクリーンナップに使おうとしているオバマと、自分たちにとって危険なものとみるマケイン/ブッシュ。
 あなたはどちらがいいですか?」
 
CNNのビデオインタビュー『CRAIGSLIST & POLITICS』でも、政治とネットについて話している。
http://www.cnn.com/video/#/video/politics/2008/08/28/intv.newmark.craigslist.cnn?iref=videosearch
(embedできないのでリンク)
「I AM A PROUD MEMBER OF THE NERDS」という最後のひとことがキュート。

下品な演説 〜ジュリアーニとペイリン

 先週の共和党大会。最終日のマケインよりも、前夜のジュリアーニとペイリンの演説に注目が集まったようだ。
 
 ジュリアーニもペイリンも、オバマに意地悪だったなぁ。ジュリアーニオバマの経験不足をさして、「job trainingしてる暇はない」(ペイリンのことはすっかり棚に上げてるな)。「経験ゼロ」とObamaのOをひっかけて揶揄するジュリアーニジェスチャーに、聴衆の共和党員が立ち上がり、こぞってゼロマークを作っていた。 
 それから米国のオフショア石油採掘にふれた時、聴衆からわき起こった「Drill, baby drill(掘れ!掘れ!)」というかけ声。採掘の是非はともかく、スポーツ観戦じゃあるまいし、こういうchantってどうなのよ。(共和党員は「USA! USA!」のchantも大好きである。)
 ジェスチャーといい、chantといい、下品すぎ。
 
 オバマは大学卒業後、law schoolに行く前に、community organizerのディレクターとして働いた。(一応説明すると、工場が閉鎖されて困っていた住民のニーズを調べ、議員の理解を得て、行動を起こしてもらう仕事で、数年のうちに7万ドルの予算を40万ドルに拡大し、職業訓練プログラムをスタートさせ、スタッフをひとりから13人に増やした。)
 ジュリアーニはそれを「アイビーリーグを卒業するほどの優秀な男が、コミュニティオーガナイザーか?」と馬鹿にし、ペイリンはその仕事をmayorの仕事に比較して、「community organizerには実質のresponsibilityがない」と揶揄した。
 実際にはこのコメントが、多くの人々の反感を買った。この選挙自体でも、共和党員自身がcommunity organizerを務めたり、彼らの世話になったりしている。しかも二人とも市長時代には、community organizerの功績を見ているはずなのに、どうしてこんなことが言えるんだろう。共和党支持者の中からも「聞いていて恥ずかしかった」という感想が聞かれた。
 
 共和党員は「民主党員はペイリンがスモールタウンの市長だったことを馬鹿にしている」と文句を言う。確かにそうで、どれくらい小さな町かは、アラスカのブロガーのサイトで、ワシラの市役所の写真(画面下方)を見るとわかる。ワシラの人口は7000人とも9000人とも報道されているが、いずれにしても1万人以下(東京ドーム収容人数の1/6以下)で、日本の県立大学の学生数程度だ。アラスカ州全体の人口は70万人に達していない。ジュリアーニは人口827万人のニューヨーク市の市長を7年務めたが、それでも大統領選に出馬した時は「経験不足では」と疑問視された。
 
 ま、それはともかく大事なポイントは、オバマ自身は、ペイリンやマケインを馬鹿にする言葉は発していないということだ。逆に、ペイリンの長女の妊娠出産についてメディアにコメントを求められた時、「子どものことは立ち入るべきではない。no comment」と述べた。ヒラリーと争っていた当初から「Above the Fray(挑発にのらず、超然としている)」と言われてきた態度を崩していない。「政治家のくだらない足の引っ張り合いをなくすことが、ワシントンDCを改革する」と主張してきたからだ。
 もしも反対に、オバマの長女が十代で妊娠となったら、共和党の政治家はどれだけオバマをこきおろすことだろう。
 
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 ところで米国にいてびっくりするのは、演説の力だ。
 ペイリンの演説はおおむね「成功」と評価・報道されていて、中には興奮して「政治の世界にスターが登場した。この人が大統領になるなら投票したい」なんて口走った人もいた。(後日、撤回したが。)オバマ自身も4年前の民主党大会でした演説で人々を魅了し、一気に有名になった人である。
 私が想像するに、有能なスピーチライターとパフォーマーとしての素質に優れた政治家がセットになれば、よい演説はできる。俳優たちが映画の中で、すばらしい演説をして観客の心を打つのと同じだ。ハウスメイトのダイアンに「どうしてアメリカの政治ではこんなにスピーチが大事なの?」と聞いたら、「Because people don't read.」とひとこと返ってきた。彼女は演説はパフォーマンスと割り切って重要視せず、政治家については実績に関する文献を面倒がらずに読んでいる。
 確かに、いい演説は感動的だし、何より聴衆の心をひとつにして、キャンペーンを盛り上げる。でも、たった一度の演説で、ここまで評価が上がったり下がったりするのは、日本人の私にはちょっとピンとこない。
 本当に政治家のスピーチの能力が試されるのは、敏腕ジャーナリストとの一対一のインタビューとか、他のスペシャリストとのディベートとか、タウンミーティングでの対話とか、リハーサルできない場合なんじゃないかなぁ。。。
 
 2008年という歴史的な大統領選の年に、米国にいられるのは面白い。11月にかけて、地元の選挙ボランティアたちのミーティングなどにも顔を出して、市民がいかに選挙を動かしているか、実際に見てみようと思っている。