先週末、とても楽しみにしていたイベントに連れていってもらった。その名もThe Rolling Stone Ex-Employee Reunion。『ローリング・ストーン・マガジン』で働いていたジャーナリスト、エディター、デザイナーたちが、30年ぶりで集まったのだ。

sasajun2007-10-05

Rolling Stone Magazineは、1967年、サンフランシスコで誕生した。ヤン・ウェナーが音楽ライターのラルフ・グリーソンを誘って、「音楽のことだけでなく、音楽が表現するものやあり方について書こう」と始めたもので、第一号の表紙は映画『How I Won the War(ジョン・レノンの僕の戦争)』中の、ジョン・レノンのスチール写真だった。
 
ベトナム戦争公民権、女性の権利等などの社会問題に対し、声をあげはじめた若者の雑誌だった。創刊号から大評判になり、他の都市から注文が来た。スクープで物議を醸し、斬新な視点の記事で賞をとり、後年重要な仕事をすることになる多数のジャーナリストが巣立っていった。ヤン・ウェナーは若い才能を発掘する天才だ。
例えば日本でも有名なジョン・レノンとヨーコ・オノのポートレートなどを撮った、写真家のアニー・リーボヴィッツ。アジア系としておそらく初めてジャーナリズムの世界で名をなし、業界人なら知らない人はいないベン・フォン=トーレ。映画『Almost Famous(あの頃ペニー・レインと)』は、15才でライターとしてデビューしたキャメロン・クロウの自伝的な内容で、当時のローリング・ストーン・マガジンの様子がよくわかる。また、ジョニー・デップが主演した『Fear and Loathing in Las Vegas(ラスベガスをやっつけろ)』は、gonzo(独断と偏見に満ちた) journalist、ハンター・トンプソンの本をもとにしている。
 
1977年、ウェナーは本拠地をNYに移した。80年代以降、同誌は政治的なエッジを次第に弱め、映画スターなどのセレブを扱う割合が増えた。このため離れた読者もいるし、批判もされた(近年はまた、政治の記事がやや増えてきたらしい)。商業的にはたいへん成功し、現在の発行部数は120〜130万。さらに13カ国版が発行されている。日本でも1973年から3年間、出版されていたそうだ。今年再刊され、東京の地下鉄を歴代の表紙の中吊り広告で埋め尽くした。
 
 『Almost Famous』を観るとわかるが、この雑誌の表紙を飾ることは成功の尺度であり、ミュージシャンの夢でもあった。今でもある程度はそうなのかもしれない。60年代から今日までの表紙を並べてみると、時代がくっきり現れていて面白い。(それにしても、アニー・リーボヴィッツが撮ったミュージシャンたちの写真の素晴らしさといったら・・!)
 
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さて、この「同窓会」は週末の3日間に渡って行なわれ、全米から参加者がサンフランシスコにやってきた。1967〜1977年の間にサンフランシスコのオフィスで働いた人たち、つまりカウンターカルチャーベビーブーマー世代が100人近く、30年ぶりに集合した。このイベントのために本格的なプログラム一式が用意され、さらに創刊時の新聞スタイルで、ex-employeesたちが寄稿した『RSX』という読み物が印刷された。あちこちから取材の申込があったそうだが、全部断ったそうだ。
 
初日は、3rd St.にある、昔のRolling Stone Magazineのオフィスで、顔合わせパーティ(現在そこを借りている会社が、場所を提供してくれたとのこと)。その後、ベン・フォン=トーレ率いるカラオケ大会があったとか。
翌日はRoxyという劇場で「Antacid Flashback」というイベントがあり、’70sロックにのせて、働いた人たちの写真を編集したビデオが上映された。写真が変わるたびに、拍手があがる。当時のオフィスの写真がやたらかっこいい。エディターやカメラマンが、遊びでよく撮っていたらしい。
その後、十数人がスピーチをしたが、言葉のプロだけあってさすがみんな話がうまい。ハンター・トンプソンとヤン・ウェナーのとんでもない逸話が続き、会場は大いにわいた。話を聞いていると、ウェナーは才能があると思えばいきなり大きな仕事をまかせたが、気にいらなければ、あるいは意見が会わなければこれまたいきなり「You’re fired!」とクビにする無茶苦茶な経営者だったようだ。誰しもlove-hate relationshipに陥ってしまうような、悪魔的かつ魅力的なキャラクターらしい。
 
午後のいくつかのイベントの後、夜はノースビーチのレストランで最大のイベント「No Talent Show」があった。普通のTalent Show(演芸会)の反対で、芸のない人たちがしょーもない芸を披露するというもの。ウェナー氏から贈られたシャンパン数ケースを飲みながら、みんなちゃんと、芸のない芸をにこにこ・キャーキャー堪能している。ド下手なバイオリン演奏あり(曲と衣装は『フリントストーンズ』だった)、意味不明な詩の朗読あり、ボブ・ディランの物まねあり。「ノー・タレント」のルールを破って、本物のミュージシャン(ダン・ヒックス)も登場した。
最終日の日曜日は「Stone Soul Picnic」と題し、クリッシー・フィールドというビーチで、ゴールデンゲートブリッジを背景にピクニック。タコスとブリトーの貸し切りトラックが乗り付けていた。「The Rolling Stone Ex-Employee Reunion and Picnic」という大きなバナーを掲げて、大々的に集合写真撮影。
 
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長々と書いたが、とにかく「遊ぶのがうまい」人たちなのだ。50〜60代になった今、これだけhave funできるとしたら、当時はどれだけのものだったろう? (何人かにそう聞いたら、みんな「You don’t want to know.」と笑っていた。)それに、気取った人、威張っている人がいない。30年ぶりで会った時に、誰がどれだけ成功したかとか、どう落ちぶれたかとか、誰が老けたとかそうでないとか、そういう話は一切出ない。「(今と比べて)あの頃はよかったなぁ」という、感傷的な感じもゼロ。
参加者が等しく言っていたのは「若いころにあんな時代を経験し、あんな人たちとあんな仕事ができて、自分は本当にラッキーだった。その後の人生においても、Rolling Stoneで経験したことから自分が完全に離れることは、決してなかった」ということだ。
 
実際にあれだけ影響力の強い雑誌を、20代の人たちが作っていたのかと思うとビックリしてしまう。
「世の中を変えたい、変えられる、変えるんだと、本気で信じていた」
「これほど賢い人たちが集まっていた場所はなかった」
「好き放題やってもいたけど、ものすごく一生懸命働いていた」
こういう言葉を、繰り返し聞いた。また、今の彼らに、変わらないエネルギーを感じた。そして、インターネットのはじまりや、オープンソースやフリーナレッジのムーブメント、シリコンバレーベンチャー企業を思い出した。これってきっと、同じエネルギーじゃん!
 
この人たちは、少なくとも「同窓会」に来られるほどに心身が健康であり、経済的に安定している。当時どれだけのドラッグやアルコールが摂取されていたかを考えれば、「同窓生」の中には全く異なる道へ消えた人も、もちろんいるだろう。
でもそれにしても…。才能や成功の度合いは異なるにせよ、彼らの多くが、20代から今の自分へ、一本の線がすっとのびているような生き方をしている、と感じた。
 
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パーティに連れていってくれたデヴィッドはこう言っていた。
「いろいろなメディアの仕事をしたが、Rolling Stoneで感じたような、‘本当に何かが変わる。自分たちがそれを引き起こす一部になれる’という興奮を感じたのは、インターネットが出てきて、HotWiredのエディターになった時だった」
そのHotWired/Wiredのオフィスは、もとRolling Stoneのオフィスがあった建物のはす向かいにある。さらに彼はこう加えた。
ベビーブーマーの世代はme generationと言われているが、振り返れば僕らは本当にweという感覚でものを考えはじめた、最初の若い世代だったのではないかと思う。初めて自由を手にした時に僕らが浮かれてやったことは、自分勝手な選択に見えたかもしれない。でも、それは自分の利益だけを考えているのとは違う。確かにその後、流行を追うようにhippieからyuppieになり、金儲けに精を出したme generationも存在する。だが僕自身の感覚では、僕らはwe generationだ」。
去年Time誌がPerson of the Yearを「You」と決めた時、デヴィッドが「このアホが。Web2.0はyouじゃなくてweだろが。大手メディアはわかっとらん」と言ったのは、この感覚に基づいてのことだったのだろう。
 
 カウンターカルチャーシリコンバレーが、私の中でつながった。そして、年をとるのも悪くないなぁと、心から感じた週末だった。