sasajun2007-12-02

 写真は、レッシグ教授とジンボさん。
 昨夜、ウィキペディアのジミーさんとiCommonsのヘザーさんがホストするパーティに行ってきた。2人は来年にかけて世界各地で’パーティツアー’を行なっているのだが、そのサンフランシスコ/ベイアリア編が昨日だったのだ。
 9時ごろ会場に着くと、ジミーさんもヘザーさんもすでにいい機嫌だった(ていうか、お酒が入ってなくても基本的にいつも機嫌よさげな人たちなんだが)。
 ライブ・カラオケ・バンドがきていて、みんな80年代の曲を歌っていた。風邪をひいてたので、ジミーさんの歌を聞く前に帰ってきたけど。
  
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 で、きのうのSF Chroniclesに、ウィキメディア財団がフロリダからSFに移転したことや、新しいウィキペディアのシステムについて、ジミーさんのインタビューが載っていた。web2.0のコミュニティづくりに参考になると思う。以下、その概要。
 
ウィキペディアに変更の予定はありますか?
ー新しい人が編集を入れた時に、まずコミュニティが見て確認してからでないと、変更が反映されないようにする。まずドイツ版で実験的にやってみる。ドイツを選んだのは、英語版に次いで規模が大きいことと、質についてウルサイ人が多いことが理由。ウィキペディアの荒らしは、いたずら目的で起きる。いたずらしてもコミュニティの一部の人にしか見られないとなったら、やりがいがなくなるのではないか。反面、人というのはすぐに結果を見たいものなので、自分の編集がすぐに画面に反映されないとなれば、他の人たちのやる気もそぐかもしれない。やってみないとわからない。
 
そのやり方だと民主的でなくなる恐れがあるのでは?
ー世の中にはidiotとそうでない人がいることを認めて、いい人たちがクオリティをコントロールできるよう、力を持たせなければならない。でもウィキペディアは常にフラットにやってきたし、新しい人たちの参加に対しオープンにしてきた。今のシステムの弱みも強みもわかっているので、強みを殺さないようにしつつ、弱みに取り組んでいきたい。
 
ランキングとかユーザープロフィールとか、web2.0的な要素を入れる予定は?
ーおそらくない。ユーザーを評価することには、メリットを感じていない。名前バッジの着用を義務づける職場があって、しかもそのバッジに自分を気に入っている人・気に入らない人が何人いるかまでも書かれているとしたら、それはヘルシーな環境とはいえない。ポイントシステムというものが何かしらあると、人というのはそのポイントを上げるためにできることをやり始めるものだ。でもその行動がいいものとは限らない。
 
今はWeb2.0バブルなんでしょうか?
ー今回のブームは、今のところ前回よりもずっとまっとうな感じがする。有効に機能するビジネスモデルもあるし、企業には収益を上げる方法が見えてきている。実際には全部の企業が収益を上げるわけではないだろうが。また、批判されるのももっともだと思う企業も中にはある。トラフィックを上げていずれグーグルに買ってもらうことをビジネスモデルに会社を作っているとしたら、おそらく問題があると思う。
 
ウィキペディアの真似をして、ユーザ・コミュニティがサイトを編集できるようにする他のウィキサイトについて、どう思いますか?
ーいいことだと思うし、もっと増えてほしい。人々が恊働できることは山ほどある。目立たない内容も当然出てくるが、それは書店で鳥に関する本がベストセラー1位にならないのと同じこと。例えばバードウォッチングガイドみたいな情報は、アマチュアの愛好家が集まれば、編集もアップデートも簡単だと思う。もっともっとそういうことが起きていい。
 
ある程度まできたら、みんな「もう書くことがない」と思うのでは?
ー以前はそう心配していた。英語版では、何も書かれていないエントリーを探すのがすでに難しくなっている。でも、参加者数は全く下がらず、依然として上昇している。
 
いつか人々は「無料で書くのはもう嫌だ。お金がほしい」と言い出すのでは?
ーそれを思わせるようなことは、全く起きていないが・・。私が主張していることのひとつに、「crowdsourcing」への反対、がある。クラウドソーシングは「一般の人たちに自分たちの仕事を無料でやらせることが、いいビジネスモデルだ」というとんでもない考え方で、きわめて下劣な世界観だと思う。人を尊重してないし、騙して無料で働かせるのと同じだ。
 人々に来てもらって、やりたいことをやってもらうために、良い場所を提供する。それがこのビジネスだ。広告料を使ってソーシャルな場をつくり、楽しんでもらうためにツールと環境を用意する。それが認められれば、人々が集まるようになる。その副産物として見事な創造物が出てくれば、それはそれで素晴らしいことだ。
 
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私的には、「世の中にはidiotとそうでない人がいることを認めて、いい人たちがクオリティのコントロールをできるよう、力を持たせなければならない。」と明言してるところが、すごくエライと思った。