パワーハラスメントに初めて労災認定の判決が下りたことを、ネットのニュースで知った。
 
 海外に住んで時間がたってくると、日本で起きているニュースがすごく現実離れした、フィクションみたいに思えることがある。同じくニュースの見出しに並んでいた、「野球ボールにプールの中の生徒に拾わせ、その中の’当たりボール’に書かれていた猥褻な言葉を女子生徒に読ませた男性教師」などは、まるでコメディセントラル・チャンネルで毎日やってる政治風刺ギャグ番組、Daily Showのシナリオライターが書いたネタみたいだ。
 
 亡くなった部下の方は鬱状態にあったのだろうが、部下という他人に暴言を吐いて自分の鬱憤を晴らさずにいられない側も、それこそかなり病んでいると思う。職場であれ家庭であれ、相手がこういうことをするとか、ここが気にいらないとか、理由はいろいろあるかもしれないが、特定の人間に対してむしゃくしゃしてしょうがない/怒りを吐き出さずにいられない状態が続いたら、間違いなく自分の中に何かしら、その相手とは関係ない理由があるはずだ。
 ニュースになったオフィス全体が、というか、企業全体がこういう行動を許容する風土でないことを願う。しかも製薬会社なのだから、まず自社社員の健康を大事にしてほしい。それもCSRの一環だと思う。(私が株主ならがっかりするよ。)
 暴言を浴びせ、いじめて士気を鼓舞する、というのは、なんだか度量のない素人がにわかにリーダーになった軍隊のやり方を想起させる。戦争に関するドキュメンタリーを作った友人が、大量の文献を調べた結果「酷い行為は、無知で訓練を積んでいない素人がリーダーになった場合に起きやすいと思った」と言っていたが、社内の酷い行為 ー非現実的で無理な目標設定とか、肉体を酷使する労働体系とかー にも、似たような部分があるのかもしれない。酷いだけでなく、ビジネスとして非合理的だと思う。
 
 友人のコンサルタント、ロッシェル・カップさんから聞いた話では、日本企業の米国工場などのマネージャーが、日本で部下を「馬鹿もん!」と叱りつけるのと同じ感覚で、アメリカ人の部下に「You stupid!」などと怒鳴ってしまい問題になることが、以前は多かったそうだ。米国の職場では、個人の人格を否定するような言葉は許されていないからだ。最近は海外へ赴任する日本人や、海外から日本に赴任する外国人に研修を行なう企業が増えてきて、そういうことも減ってきたようだが。
 
 日本人は忍耐強いと思うけれど、自分の健康を損なうほどの我慢は自虐であり、美徳ではないはずだ。仕事は自分の人生の大切な部分ではあるけれど、だからこそ、自分に害のある環境に無理してふんばる必要はないと思う。

 いつも思うのは、ポップサイコロジーという分野の読み物や考えが、日本にも必要なのではないかということだ。英語にemotional growthという言葉があるが、いろんな事件のことを読んでいると、この人は感情の発達が十代で止まってしまっていたのかなぁ、と思われることがある。(これを英語でarrested development=発育遅滞)と言うそうだ。)
 大人になり、知力と精神力が高まると、感情面も自然と大人になるかというと、そんなことはないだろう。感情のコントロールには意識的な努力が必要だし、そのためには感情の働きや自分の振る舞いが他者に与える影響について、ある程度、知識がなければならない。
 「日本では心理学というとだいたい恋愛もののことをさすし、それしか売れない」と、ある編集者の方がおっしゃっていたが、そうだろうか。「心の問題」という言葉でひとくくりにされる問題をもっと詳しく分析的に知りたいと思っている人は、けっこういるのではないか。必要なのは、わかりやすい言葉でパワフルにこの方面の知識を伝える、カリスマティックな心理学者かもしれない。日本人の知的好奇心をもってすれば、基礎的な知識はあっという間に広まるような気がする。いくつもある占いの番組のかわりに、ひとつくらいDr.Philみたいな番組があったっていいんじゃないかなぁ。