sasajun2008-04-11

 きのうのオリンピック聖火リレー in サンフランシスコは、前代未聞の顛末だった。

 おとといの夕方、土壇場になってギャビン(・ニューサム市長)が「明日のルートは変更する。でも公表しない」と発表。リチャード・ギアデズモンド・ツツ大主教を迎えてのプロテストイベントでは、「明日のプロテストは非暴力で」が繰り返されていた。Free Tibet!と盛り上がったプロテスターたちは、翌朝「世界にサンフランシスコのスピリットを見せよう!」といきまいて、8:00amから開会式会場付近に集結したそうだ。
 
 私はプロテストサイトのケータイ情報サービスに登録したんだけど、新しい動きがあるたびにメールで教えてくれるのでとても便利。ここ数年、アクティビストたちはネットとケータイを使うのがすごくうまくなってるな〜。
 
 一番人出が多かったのは、閉会式が行われる予定のジャスティンハーマン・プラザ付近。行ってみたら、なんかあたりが真っ赤じゃないですか。フリーチベット派ばかりを想像していたら、プロチャイナ派が半分くらい。その多くが英語もわからなそうなお年寄りで、風情はゲートボール集団。プロテストが起きていることもよく理解していない様子である。
 後で知ったんだけど、中国領事館と中国系アメリカ人のグループが、プロテストに対抗すべく、ベイエリア全体はもちろん、はるばるロスアンゼルスからも、チャーターバスでかり出してきたんだそうな。ご苦労さまなことです。
 
 警察と市のバスに包囲されながら、聖火リレー開始を待つこと数時間。予定の1時をずいぶん過ぎて、やっとケータイに「トーチ出発!」とメールが。ってことは、1時間半後には閉会式のエリアにやってくるはず。ところがここからがとんでもない。「Van Ness St.とPine St.を北上中」とか10分おきくらいにメールが入るんだけど、まさか!の地味な住宅街などをじわじわと進行していく。一体どこにいくつもりなの??
(San Jose Mercury Newsのマップ)
 
 「トーチはこっちにこないよ」とみんなが話し始めたので、途中から家に帰ってテレビの生中継を見た。モーターケードに包囲されて、二人一組の聖火ランナー(走れないのでウォーカーか)がのろのろ進み、数ブロックごとに交替する様は、喜劇的としか言いようがない。それでも笑顔をたやさないランナーが健気。肝心の聖火は倉庫やバスの中に避難してはまた現れたり、何だかなぁ。。。だらだらリレーのゴールは、一団が歩行者が入れないフリーウェイに避難して(?)ほっと一息。そのまま聖火はバスに乗せられて空港に向かい、このhot potato(扱いにくい問題)は、ブエノスアイレスに無事パスされたのだった。。。
 
 結局、閉会式はキャンセルされ、先のプラザに集まっていた人たちは空振り。あのチャイニーズの老人たち、あんなに待ったのに気の毒だなー。
 プロテスト側にしてみれば、コースも変えさせたし、閉会式もキャンセルさせたしで、世界への意思表示は大成功といっていいだろう。しかも、テレビに映ったかはわからないけど、聖火ランナーのひとりが、チベットの旗をやおら取り出して広げたとか(やるなー)。他にも「チベットのことを思いながら走る」と発言したランナーがいたけども。
 
 突然現れた警官とバスと聖火ランナーと、それを追っかける群衆にびっくりした人もいれば、現れるはずの聖火を待ちわびた人もいる。イレギュラーなコースに伴ってあちこちが通行止めになり、市営バスのルートもスケジュールもぐしゃぐしゃ。市全体がサプライズリレーに翻弄された、SFの歴史に残る一日だった。
 
 だって、お台場〜丸の内って感じのコースが、中野〜世田谷に変更されたようなもんですからね。「混乱を避けるための奇策」とか書かれてたけど、市民やドライバーは十分混乱させられてましたって。(笑)
 
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 当然ながら、「だまされた」「裏切られた」と怒ってた市民もいた。
 
 が、今朝のSF Chronicleに、こんな政治アナリストの記事が。
「閉会式会場付近に集まった人々の半分以上がプロチャイナのサポーターだったし、ゆゆしい危険はなかった。プロテスターはチャイナのサポーターに囲まれたり、旗を破られたり、妨害されていた。あのままテレビに放映されたら、中国のチベットでの虐殺に対し、サンフランシスコでは何の抗議行動も起きていないようにみえたかもしれない。それではこの中継をオリンピックPRに使いたい中国政府の思う壷だ。市長のルート変更は、それを避けるための策でもあったのではなかったか」。
 
 うーん、あり得るなぁ。この説が主流になれば、市長はリベラル派から支持を得るだろうなぁ。
 21世紀、自分たちがどれだけ複雑な世界に生きているか、それがいかにコミカルな状況を作り出すかを、つくづくと感じた一日だった。