仲良しのCちゃんに勧められて、桐島洋子さんの『淋しいアメリカ人』を読む。30年以上前に書かれた本だが、ちっとも古さを感じない。私がアメリカで感じる違和感が、ほとんどそのまま凝縮されていた。
自由の象徴である自動車とドライブスルー、エクスキューズの指標としてのホロスコープと宗教、集約し飼いならされた個性を象徴するグリーティングカード、思考を節約するテレビ、実用的で長持ちするレクリエーションとしてのスワッピング、などなど、パターン化されたコミュニティ生活と、中流階級の出来合いの人生を象徴するものの数々が、鮮やかに解釈されている。
読後、「私、アメリカに住んでなじめるかなぁ」と考えた。アメリカに住む日本人と話していると、いろんなことに疑問や不安を抱かない人の方が、なじみやすい国なのかな、と感じることがある。考えてみると、私が話していてしっくりくるのは、自らの選択で長期滞在しビジネスや創造活動をする人、移民やその二世、同性愛者、アフロアメリカンといったマイノリティと結婚した女性など、自己の社会的立場に不安定な要素をもち、異なる価値観の間でもまれながら、自分なりの生き方を作り上げようとしている人たちだ。もちろんそういう人もアメリカにはたくさんいるけれど。
『淋しいアメリカ人』を英訳して読ませたら、アメリカ人はどう反応するんだろう? 日本語堪能なアメリカ人の友人に、読んでみてもらおうかな。