赤ちゃんを出産した元恋人を25才の男性が訴えたケースを、CNNで報道していた。「彼女が絶対大丈夫だって言ったからそうしたんだ。それでできた子供に自分の責任はない」。つまり、月々300なにがしかドルの養育費を払いたくないんだそうだ。倫理専門のコラムニストとかいう人が「女性が完全に”陥れた”なら男性に責任はないが、いくら大丈夫と思っても100%ということはない。避妊は両者の責任であり、子供ができたら両者が責任をとるべき」とコメントしていた。私などは、300ドルじゃんか、払えよ、セコい。と思ってしまうんですが。
赤ちゃんができた恋人を男性が訴えたケースは、イギリスやアメリカで過去にもあった。といってもこのケースと異なり、中絶しようとしている恋人に待ったをかけようとして訴えたもの。「中絶はいけない。俺が育てる!」ということだった。あるいは、元恋人が自分の子供を出産して、養子に出していたことを後で知った実の父親が、子供を取り返すべく訴えたケースとか。
アメリカでは中絶は「権利の問題」「選択の問題」と考えられている。宗教的立場から中絶を悪とみなし、違法とするやり方に対抗して、中絶や出産という”女性の権利”を勝ち取るための運動が行なわれてきた。そんな中で、「”女性の権利”といえるなら、それは”男女平等の権利”でもあるだろう」と裁判に持ち込まれる場合が出てきている。
こういうニュースを見ていて、私が憂えることはただ一つ。二人がつくった子供の行く末だ・・・。