たまった本を古本屋さんに出そうかなと思って整理していたら、10年くらい前に話題になったフランチェスコ・アルベローニの『他人をほめる人、けなす人』(原題『L'ottimismo=オプティミズム』)が出てきた。めくってみたら「楽観的な人、悲観的な人」という項があって、今日読んだ梅田さんのエントリーを思い出した。
 

 オプティミズムとペシミズムは、一見したところでは本質的には同質のもので、しかも反対の長所と短所をそなえているもののように思われる。オプティミストは、より行動的、積極的である。けれども、困難を実際よりも小さく見なし、危険な路上で思いがけないリスクを冒すことがある。これに反して、ペシミストのほうは必要以上に慎重で、多くの好機をむざむざ逃してしまうことにもなりやすい。要するに、両者を適度に混ぜ合わせたところが理想のように思われる。
 実際には、オプティミズムとペシミズムは、困難と未来に対する、単に二つの姿勢というだけではなく、自分自身および他人との関わり方の二つの異なる態度でもある。
  <中略>
 まずペシミストだが、彼は未来に対して否定的なイメージを抱いている。しかも、人間についても否定的なイメージを抱いている。人間を観察するときはつねに最悪の資質、最も利己的で打算的な動機を見てしまう。ペシミストにとっては、社会は、悪賢くて退廃的で邪悪で、周囲の情況をいつでも自分のために利用してやろうとかまえている人びとから成っている。頼ることなどできないし、こちらからの支援にも値しない人びとの群れである。
  <中略>
 我われの心の傾きの第一は、未来についての恐れと不安である。第二は、我われの生来の怠惰であり、動かずにじっと自分の殻の中に閉じこもろうとする傾向である。事実、ペシミストは本質的に怠惰である。新しいものに適応するために努力するというようなことはしない。
  <中略>
 ペシミストに比べてオプティミストは純情・素朴に見える。人を容易に信頼するし、危険にも進んで身をさらず。しかし、よく観察してみると、彼とても他人の悪意や弱点を見てとっていることに気づくだろう。けれども彼は、それが障害であるとしてとどまったりはしない。あらゆる人間には肯定的な資質があると信じており、それを呼び覚まそうとして努力する。
 ペシミストは自分の中に閉じこもり、他人の言葉に耳を貸そうとしないし、他人を危険な存在としてみる。これに反し、オプティミストは他の人びとに強い関心を寄せている。他人が自由に語るにまかせ、他人に時間を与え、彼らを観察する。そうすることで、誰の中にも、称えるに値し、活用することのできる長所、肯定的な面があることを知る。こうして彼は、何かの目的に向けて人びとを結束させ、導くことができる。有能な組織者、優れた企業家、傑出した政治家は、すべてこの素質をそなえていなければならない。 
 オプティミストはまた、困難をもより容易に乗り越えることができる。それは彼のスタンスが新たな解決にいっそう開かれているからであり、不利な条件を有利な条件にすみやかに転換できるからである。ペシミストはまず困難をめざとく見てとるが、それに怯え、すくんでしまう。状況を転換するには、ちょっとしたファンタジーがあれば足りる場合が多いのに。

 
 ペシミストの説明はともかくとして、オプティミストの説明には、こんな人と仕事をしたいなぁと思わせられる。
 アルベローニに言わせれば、「ペシミストは異常なまでの伝染力を備えている」とのことで、これには「組織にひとりでも強力にネガティブな人がいると、それが癌のように広がる」とどこかで読んだことを思い出した。
 「我われの心の傾きの第一が、未来についての恐れと不安」であり、「ペシミストの伝染力が強い」のだとしたら・・・。世の中には状況を変換できるちょっとしたファンタジーをもった、より多くのオプティミストが必要だ。

 

他人をほめる人、けなす人

他人をほめる人、けなす人