sasajun2007-02-23

 子どもをどうほめて育てるか、という記事『How Not to Talk to Your Kids』が米国で話題を呼んでいる。
 記事はコロンビア大学が、400人の5年生を対象に行なったテストについて書いている。任意で選んだ子どもにパズルを解かせ、そのうち半分の子どもには「You must be smart at this.」と、知能をほめた。もう半分には「You must have worked really hard.」と、努力をほめた。
 続いてこの子どもたちに「これは前のより難しいけど、やってみると勉強になるよ」というパズルと、「前のと同じくらい簡単だよ」というパズルを選ばせると、知能をほめられた子の大半が簡単な方を選び、努力をほめられた子の90%は難しい方を選んだそうだ。「頭がいいとほめられ続けると、失敗を恐れて挑戦に消極的になったり、頭がいいのに努力するのはみっともないと感じて、能力が発揮できなくなる恐れがある」と記事は述べる。
 というわけで、なんでもかんでも「頭がいいね」と安易にほめず、「きれいにできた」「前よりもよくなった」「早くできた」などなど、手間ひまかけて、その度に努力を具体的にほめましょう。・・というのが結論だ。「自分も"Praise Junky"だったが、安易に能力をほめそやす裏には、頭のいい子でいてほしいという親の期待とエゴが潜んでいる」と、この記事を書いたライターはブログで追記している。
 
 確かに、アメリカにいると「You are so smart.」「You are so handsome.」「You are so wonderful.」と子どもをほめる声がしょっちゅう聞こえる(夫や妻や友人をほめる声も。)。ほめることは大事だ。日本の家庭や職場の中では、お互いに感謝したりほめたりする回数を増やしてもいいと思う。
 でもほめられてばかり育つと、常に優秀でいなければならないという観念に縛られたり、優秀だということに自尊心を頼りすぎるようになったり、自分の非を認められないような面が出てきてしまうのも本当だと思う。
 
 話はそれるが、優越感と劣等感は裏返しだ。人より劣っていることを気にするのも、人より優れていることを鼻にかけるのも、他人が自己評価の基準になっているという意味では同じで、とても不自由だ。日本ではコンプレックスというと劣等コンプレックスをさすことが多いみたいだけど、優越コンプレックスというのもある(いろんなコンプレックスがある)。
 程度の差こそあれ、その両方を持っている人は多い。私自身もそうだ。他人を辛辣に見下すブログエントリーを読んだりすると、むきだしになったコンプレックスを見てしまったような気がすることがある。日常生活の中で、何かを人やもののせいにしたり、誰かのことが気に入らなかったり、人やものをこきおろしたくなった時は、攻撃する前に自分の中を探ってみるといいと思う。その内容に自分のコンプレックスや、うまくいってないことに対する不満が現れていたりするから。
 
 大人になったら、自分をほめたりけなしたりする役割は、家族や友人や上司よりも自分が担っている。自分のやっていることをたびたびよく見て、具体的な努力をほめるようにしようと思った。