インターネットのアーカイヴとしての役割に、時々思いを巡らす。インターネットが登場したころ、それがとてもつもない情報アーカイヴになることは疑いがなかった。でもサイトや掲示板やブログによって、人々が簡単に自己表現するようになった今、ネット空間に日々集積されているのは単なる情報だけではない。そこにあふれているのは、個人的な気持や記憶であり、感情生活の営みだ。
 大先輩のジャーナリストは「死ぬまでにできるだけ書く」と宣言して、精力的にブログを書いている。彼が亡くなった時、彼がbloggerにアップロードした文章や写真は、どうなるんだろうか。更新されることのないまま、半永久的にネット空間に残る? 彼の知的・創造的活動は、そのままネット空間であらゆる人に公開され、使用されていくのだろうか?
 
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 その彼のアドセンスをたどって、http://www.memory-of.comにいった。家族や友人が亡くなった人のサイトを簡単に作って、オンライン追悼(式)ができるようになっているサイトだ。私はもともと新聞のobituary(死亡広告)を読むのが好きだ。「何才でどこのどんな親に生まれて、学校はどこへ行って、仕事はこれで、こんなボランティアで活躍し、子供は誰で、趣味は何で・・」というような経歴を読んでいると、どんな平凡な人であっても、生きるっていうのは立派なことなんだなぁと感慨にふけってしまう。
 このサイトでは、16才で自殺した男の子のページを見た。作ったのはお母さん。子供のころからの写真や、彼のロックバンドのビデオ、友人や近所の人たちからのコメントなどがある。どう息子の死と向き合ったものか悩む、お母さんの戸惑いと悲しみが、サイトの隅々ににじみ出ている。全くの他人からも、お悔やみや励ましの書き込みがある。2週間は無料、それ以降はウェブホスト料が月々$4.95。このお母さんは長い間、オンライン追悼を続けるように思う