『New Yorker』に掲載されたショーン・ペンのインタビューを読む。近年はハリウッドスターとしての仕事と同じくらい、反戦アクティビストとしての活動にも力を入れている。2002年にはバグダッドへ視察に赴き、『Washington Post』の紙面を56,000ドルで買うと、「(イラクとの)戦争を急がないでくれ」とブッシュJrへの公開レターを掲載。60年代のジェーン・フォンダと同様に激しく叩かれた。それでもくじけず再びイラクに戻り、2003年には『San Francisco Chronicle』と『New York Times』に長い記事を寄稿した。
 以来、『San Francisco Chronicle』の特派員として記事を書くようになり、2005年にはSEAN PENN IN IRANを寄稿している。今年もテヘランに取材に出ており、夏にはシリーズが掲載の予定だ。
 ジョージ・クルーニーもそうだが、ショーン・ペンも芸能一家の出身で、父親のレオ・ペンは監督・脚本家・俳優。ハリウッドの赤狩り時代に共産主義者の烙印を押されたというから、今日のペンの活動は血筋と教育によるものだろう。
 この数年を振り返っても、『Mystic River』『I am Sam』『21 gram』と役者としてヘビーな役をこなしながらのアクティビズム。考えてみれば、昔はマドンナの夫で、always getting into troubleな人だった。そのころから10年、20年。40代なかばとなった彼は、有り余る怒りとエネルギーをチャネルする道筋を作り上げたようだ。努力して大人になり、より成熟しようとしている人。そんな印象がある。