ゴッホと庭に関する本を訳し終えた。生きている間に売れた絵がたった一枚だったなんて、悲しすぎる。翻訳をしていて泣いたのはこれが初めてで、訳し終えた時には自分の中の「悲劇」の定義が変わっていた。
ゴッホ日本画に対する入れこみようは相当なもので、日本人の自然観を書簡の中で幾度も賞賛している。印象派の画家はみなそうなのだが、「自らを花のように自然の中にとらえる日本人」とか「一輪の花を見える場所に生けて、つらい肉体労働の慰めとした日本人」とか「猛る海を、生き物のように描いた版画家」といった文章を読んでいると、自分がそうしたことを当然と思っていたこと自体が、日本人的感性をもっているということなのか、と妙に納得したりした。確かに「あなたといると、月とか雲とか空とか、そういうものをただ黙って一緒に眺められるのが好き」とアメリカ人に言われたこともあり、「それって普通じゃないの?」と聞いたら「アメリカではあぁきれいな月だねって一瞥しただけで、さぁ家帰ってテレビ見ようって言う人が多い」と返事が返ってきた。
そう思うと、やはり日本人は環境問題をリードする感性をもっているのではと思えてくる。日本のエコ技術はなかなかのものらしい。ほんとにリードしたらいいのにな。